マクフィ(競走馬)
まくふぃ
生年月日 | 2007年3月4日 |
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英字表記 | Makfi |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | Dubawi |
母 | Dhelaal |
母の父 | Green Desert |
競走成績 | 6戦4勝 |
管理調教師 | Mikel Delzangles (フランス) |
馬主 | Mathieu Offenstadt |
生産者 | Shadwell Estate Company Limited |
マクフィとは、英国産でフランスで調教された競走馬。
現在は種牡馬として供用されている。
デビュー前
2007年3月4日、オーナーブリーダーでもあるドバイの王族、シェイク・ハムダンがイギリスに所有する生産牧場、「シャドウウェルスタッド」で生を受けた。
オーナーブリーダー、すなわち自ら馬主となり、生産馬を所有して競馬に出す生産者の元に生まれたわけだが、本馬はシェイク・ハムダンの所有馬とはならなかった。
本馬は馴致育成の後、2009年10月にタタソールズで行われたトレーニングセールに上場。マシュー・オッフェンスタットに2000ギニーで落札された。
ヨーロッパでは、基本的に有力馬はイヤリングセール(1歳馬のセリ)で取引されることが多く、マクフィは2歳馬のセリで取引されたため、それほど期待された馬ではなかった。
マシューがトレーニングセールに参加したのも、1歳馬は高くて買えなかったからだし、本人の見立ても「未勝利は勝てるかも」くらいだった。
その後、マクフィはフランスに渡り、調教に入った。
3歳時
クラシックシーズンを迎えたマクフィは、いよいよ本格的に始動。デビューから4か月後、手始めにジェベル賞(仏G3 芝1400m)に挑戦。見事差し切り勝ちを収め、重賞ウィナーの仲間入りを果たす。
2000ギニー
晴れて重賞ウィナーとなったマクフィ。馬主が当初想定していた*「未勝利は勝てるかも」を越え、さらなる重賞に挑戦していく。
陣営は次走に英2000ギニーステークス(英G1 芝直線1マイル)を選択。
9番人気と低人気で挑むこととなった。
いざ始まったレース、スムーズにスタートを切ると中団につけ、最後に末脚を炸裂させる。素晴らしい 差し脚を見せつけ、G1初勝利を飾った。
その後はセントジェームズパレスステークス(英G1 1603m)に挑戦するも、喉の炎症を発症していたこともあって7着と惨敗を喫する。
ジャック・ル・マロワ賞
幸い喉の炎症は大したことなく、陣営が次走に選んだのはジャック・ル・マロワ賞(仏G1 直線芝1600m)。1998年にタイキシャトルが制したことでも有名なレースである。
8月15日、イギリス海峡を望むノルマンディー、ドーヴィル競馬場に、8頭の駿馬が集った。
その中でも特に注目を集めていたのは、ジャック・ル・マロワ賞連覇と欧州G1勝利数新記録がかかっていたゴルディコヴァ。
いざ始まったレース。ゴルディゴヴァが早めに抜け出し、本馬は英2000ギニーと同じく中団につける。
レース終盤、逃げ切ろうとするゴルディゴヴァを猛追。差し切ってG1二勝目、祖父のドバイミレニアム、父のドバウィに続き、同レースの父系3世代連続優勝を果たした。
ジャック・ル・マロワ賞後
その後は、Qエリザベス2世Sに挑戦するも5着。
そして、ブリーダーズカップ・マイル(米G1 芝8ハロン)を最後に引退。種牡馬入りが決まった。
引退レースとなったブリーダーズカップ・マイルのステップレースにはクイーンエリザベス2世ステークスを選択するも、直線で伸びを欠き5着。
コンディションが整わず、ブリーダーズカップ・マイルは回避し、そのまま種牡馬入りした。
種牡馬入り
引退後、マクフィはカタールの王族であるサーニー家に売却され、イギリスのツイーンヒルズスタッドで種牡馬となった。
国外では、シャトル種牡馬として、ニュージーランドのウェストバリースタッドでも供用され、所属は変わらずフランスのボネヴァル牧場で供用された。
来日
2016年10月6日、サラブレッド等軽種馬の改良増殖を図る団体、「日本軽種馬協会」が購入を発表。
2017年に来日し、同協会静内種馬場で繋養されることとなった。種付け料は前払不受胎返還で250万円。
そして2021年、水沢競馬場で行われた留守杯日高賞をスマイルミュが勝利。日本産の産駒で重賞初勝利を挙げた。