ユエン・シャオティエン
ゆえんしゃおてぃえん
北派少林拳を踏襲する京劇役者の家柄に生まれ、幼少より京劇と壇長北派の武術を学ぶ。
21歳の頃より各地の京劇団を遍歴し、1937年25歳の時に香港に渡り、粤劇(えつげき、広東オペラ)の五大流派のひとつ薛覺先の起こした「薛派」である覺先聲劇團に「武丑」(立ち回りを専門とする役)として入団。
粵劇に北派の武術演出を取り入れる立役者の1人となった。
その後、映画界に入り替身(スタントダブル)を経て1948年には『方世玉與苗翠花(原題)』で香港映画界初の武術指導(アクション監督)となる。
のちに關德興(クワン・タッヒン)主演のヒットカンフー映画、『黄飛鴻(ウォン・フェイホン)』シリーズなどを劉家良(ラウ・カーリョン)とその父劉湛(ラウ・ジャーン)らとともにつとめ、 俳優としても数多くの武侠映画に出演。
曹達華(チョウ・ダーワー)主演の『如來神掌(原題)』での武術指導をはじめ60年代だけで200本もの映画に関わっている。
息子のユエン・ウーピンは後にマトリックスやキル・ビルなどハリウッドのアクション映画にてアクション指導などを務めた実績を持つほどの映画監督兼アクション指導者になり、のちに本人を筆頭に「袁家班」(ユエン・アクションチーム)として、国内外を含め数多くのカンフー映画やアクション映画を世に送りこむなどして香港映画界に大きく貢献した。
1978年には、息子ユエン・ウーピンが監督した『スネーキーモンキー 蛇拳』や『ドランクモンキー 酔拳』に師匠役として出演、この2作品のヒットにより師匠役が当たり役となったシャオティエンは、再び多くのカンフー映画に出演するようになったものの2年後の1980年に心臓発作による合併症で肺癌を患い永眠した。
人物
格闘ゲームのキャラクターにおいて何度か元ネタに起用されており、KOFにおいてはサイコソルジャーを駆使するアイドル女子高生の師匠として活かされている。