概要
甲斐国市川村(山梨県山梨市)の名主・喜左衛門の記した『暴瀉病流行日記』の安政5年(1858年)8月上旬の日記に書かれた、甲斐国内のコレラ流行についての項に登場する黒い鳥にもう一つの白い頭が生えた双頭の予言鳥。
それによると安政4年(1857年)12月に加賀国(富山県)白山に現れたこの鳥が、「来年の8,9月に国内の9割方が死ぬが、我らの姿を朝夕に仰いで信心する者は難を逃れる」と予言した。
この鳥は熊野七社大権現の武徳をあらわしているとされ、事実この年の8,9月には予言の通りコレラ流行によって多くの者が亡くなったのだという。
日記には続きがあり、なかなか流行はおさまらないので8月中旬に念仏祈祷がおこなわれ、8月下旬には「年替」として松で村を飾り、この病は狐の仕業だと油揚げと赤飯を森に供えたところ、9月には収束の兆しが見えたという。
2020年にCOVID-19の流行によって予言獣アマビエが話題になった際、山梨県立博物館は所蔵しているこの日記について紹介した。
なお日記には熊野七社大権現の鳥としか紹介されておらず、この名は同博物館が名付けたものである。