頭部が「丁」の字のような何かになっている提督。
海の近くに現れ「デンチャーン」と鳴き、電池を渡すと「デンチヤン…デンチヤン…」と涙を流すという。
T督とは似て非なる何かであり、白い、丸い、目(口)がある、といった違いがある。
まずT督があり、そのパロディとして丁督が生まれ、その後イベントの甲乙丙の難易度選択が追加された後、クリーチャーの丁督とは特に関係のない、用語の丁督が生まれたという経緯がある。
pixivでの初出はおそらく睦月さんのhttps://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=36552319
掲示板などに於ける丁督
掲示板においては、「丁督」という言葉は「丁提督」と同義語で使われる場合がある。その意味するところは、2018年冬イベント捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)の前後で異なってくる。以下の記事では、便宜上2018年冬イベント以前の意味を「旧定義」、以後の意味を「新定義」と記述する。
旧定義の丁提督
甲乙丙の三段階の難易度を選択できるようになった2015年の冬イベント迎撃!トラック泊地強襲以降の各イベントに於いて、イベントに参加しなかった、出来なかった、または難易度を問わず最終面までクリアが出来なかった提督のことを言った。
甲乙丙に続く「丁」と提督を合わせた造語である。
ありがちなパターンとしては、実力以上の無理な難易度でのクリア(特に甲種勲章)にこだわり過ぎたり、攻略途中の「レア艦掘り」(丙でレア艦を掘り当ててから、改めて甲でクリアするパターンが多い)への執着で結果的に資源や時間を浪費してしまい、終いにはレベルを落としてのやり直しすら出来なくなる例が挙げられる。
当人が自嘲的に使ったこともあったが、時に他者への煽りとして使われた場合もあり、使う場合はTPOを弁えた上で使うことを求められた。
新定義の丁提督
2018年の冬イベント捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)では、従来の甲乙丙に加えて、新たに難易度「丁」が実装されることになり、難易度選択は四段階となった。
その難易度については運営から、
「【丁作戦】はどうしてもプレイする時間が十分にない…艦隊運営を始めてまだ月日があまり経っていないけれど何とか期間限定海域を攻略したい…という提督のための新しい作戦難易度です。」
と言及されており、丙よりもさらに簡単な難易度とされている。
丁作戦の実装に伴い、以後は「イベントを丁作戦でクリアした提督」のことを意味するようになることが予想される(新定義)。少なくとも「難易度を問わず最終面までクリアが出来なかった提督」という意味は、適切ではなくなる。
そして、「難易度を問わず最終面までクリアが出来なかった提督」のことは「戊提督(ぼていとく)」と呼ばれることになるかもしれない。(『戊』は一般に「ぼ」と読む)
この「戊提督」という言葉も、旧定義における丁提督と同じく、使う場合はTPOを弁えた上で使うことを求めらる。
実在の人物
ネタではなく、名字が『丁』という提督は、歴史上実在している。日本で最も知られているのは、19世紀末の大清帝国海軍の北洋艦隊の指揮官・丁汝昌(てい じょしょう)であろう。
19世紀末の清国は、アヘン戦争やアロー戦争における敗戦や太平天国の乱の発生などといった内憂外患がひとまず収まり、また、洋務運動と呼ばれる近代化政策によって政治や軍隊の西洋化を進めるなどして、若干ながら国勢を回復させていた。この洋務運動は、当時の清国で政治の実権を握る西太后の信任を受けた政治家・李鴻章が中心となって進めており、北洋艦隊の創設も重要な政策の一つであった。北洋艦隊の創設にあたって、李鴻章は腹心の丁汝昌を提督に任命した。
やがて勃発した日清戦争において、丁汝昌は北洋艦隊を率いて日本海軍と戦うものの、海戦中に負傷して指揮が執れなくなってしまい、これによって生じた混乱などもあって北洋艦隊は敗北、最後は根拠地である威海衛の泊地で包囲され、海戦史上まれな水上艦艇による泊地襲撃などもあって、丁提督は敗戦の責任をとって自決した。
丁提督にとっては、戦闘中の負傷以外にも、同情できる点があると言える敗戦であった。
北洋艦隊は、ドイツから購入した戦艦「定遠」「鎮遠」などを主力とし、その存在は日本軍にとって脅威であった。たが実は、日清戦争の数年前から清国海軍の予算が大幅に削られてしまった影響で、装備更新や兵員の訓練が思うようにできず、その練度に問題があったのである。丁汝昌も上司の李鴻章も、当時の北洋艦隊の装備と練度で日本海軍と戦うのは危険すぎると考えていた(そもそも開戦に反対だった)が、主戦派・強硬派に押し切られてしまったのである。
なお、海軍の予算が削られた理由は、頤和園の改修等に予算を振り分けるため、つまり西太后の個人的な贅沢のためである、とよく言われるが、実際はそれほど単純ではなく、他に以下の理由が指摘されている。
- 清国内の主戦論の抑制
強力な兵器を軍人に与えすぎると、国内で主戦論・強硬論が台頭し、外国と緊張が高まった場合に抑えづらくなる。政治の実権を握る西太后とはいえ、戦争・軍事は専門外だったため、戦争が発生すると軍人の影響力が増し、逆に西太后の権力が弱まってしまう。つまり西太后の権力維持のためには、戦争が発生しない方が望ましいのである。実際、日清戦争の発生以前にも日清間で緊張が高まったことが、少なくとも二回あり、西太后らは開戦を懸念していた。
- 銀の海外流出の防止
技術的な問題から、当時の清国で建造できる軍艦は大きさも性能も限られていたため、最新鋭の戦艦などは西洋諸国に発注して輸入せねばならなかった(ちなみに日本も当時は同じ状況)。だが、軍艦の発注は、貴重な銀の海外流出を意味していた。貴重な銀を西洋諸国に流出させるよりも、国内の土木工事で消費した方が、清国の経済にとっては望ましかった。ちなみに、上記の戦艦「定遠」「鎮遠」も、海軍国イギリスからではなく、わざわざ陸軍国ドイツから輸入しているのは、アヘン戦争以来の仇敵であるイギリスを儲けさせたくないからであるらしい。
余談
なお、丁型駆逐艦や丁型海防艦を愛好する提督という用法はほぼ存在しない。