概要
経歴
昭和22年(1947年)に皇籍離脱をした。昭和34年(1959年)父・朝融の薨去に伴い久邇家の家督を継承。父と最後に暮らした祖母・俔子妃の邸宅を買い取った飯野海運に入社することとなり、更に後には川崎汽船に転籍して勤め上げた。
定年退職後の平成2年(1990年)、神宮の大宮司に就任し平成13年(2001年)まで務める。退任後は神社本庁の事実上のトップ(序列上は総裁に次ぐナンバー2)である統理に就任し、平成23年(2011年)まで同職にあった。また、平成3年(1991年)より霞会館(旧華族会館)理事長を務めた。
令和2年(2020年)現在、昭和22年に皇籍離脱をした男子皇族の中では最高齢の存命者である。
続柄
曾祖父に久邇宮朝彦親王、従兄弟に明仁上皇。この他、曾祖父に徳川慶喜・島津忠義・伏見宮貞愛親王がいる。娘の晃子は、今上天皇の妃の候補の一人となったことがある。
長男・次男・長女がいる。長男の久邇朝尊は2022年に神宮大宮司に就任。親子2代での大宮司就任となった(また、曽祖父にあたる朝彦親王、大伯父の賀陽宮邦憲王、大叔父の多嘉王が神宮祭主を務めている)。