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概要

 京都府京都市にかかる国道1号及び8号の一部であり、鴨川を渡している。長さ65m、幅35m。

 古くから清水寺参拝の経路として使われていたことから「清水橋」の異名を持つ。

 京都に橋は数あれど、この五条大橋は童謡牛若丸」でも


>京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる

>牛若丸は飛び退いて 持ったを投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く

>前やうしろや左右 ここと思えば またあちら のような早業に 鬼の弁慶あやまった


と謡われていることから、牛若丸(後の源義経)と弁慶の出会いの場として日本全国津々浦々で親しまれている。「弁慶」と聞いただけで、多くの人はこの五条大橋か最後の地である衣川が思い浮かぶだろう。


 が、断言してもよいが、弁慶は五条大橋で牛若と戦ってなどいない

 当時五条大橋の入り口である「五条路」は、今で言う「松原通」にほかならず、現在の五条大橋にはつながっていない。現在の「五条路」は、豊臣秀吉方広寺建立に際し「六条坊門小路」から名が改められた物である。

 ついでに言うなら『義経記』ではそもそも橋の逸話すら無く、清水寺で闘ったことになっている。まあ、『義経記』はかなり読み物としての面白さを追求しているので、これも確証はなく、「場所はどうあれ橋の上で戦った」ということはありうる。殊に牛若が欄干を飛び跳ねたという逸話は、後に壇ノ浦の戦い八艘跳びを行ったと言われる義経の高い身体能力を表している。


 以上のような経緯から考えて、五条大橋で弁慶と牛若が闘ったという事実の立証は困難である。仮にタイムマシンか何かが発明されたとして、そこで平安時代にタイムスリップしても、今の位置に五条大橋は決して掛かっていないのだから。

 ま、堅いこと言わずにあくまで伝承として楽しめばいいのだ。


 秀吉が建設してから現代にいたるまで五条大橋は5回も落ちており、現在掛けられている五条大橋は1959年に完成したものである。勿論、弁慶と牛若の像も建てられている。


 ちなみに一般的なイメージとしては刀を999本集めていた暴れん坊の弁慶を牛若丸が懲らしめた、ってのがあるが、橋弁慶』においては「京で暴れまわっていた牛若丸に興味がわいた弁慶が喧嘩を売った」という逆の導入になっている。


pixivでは

 皆様の予想通りの絵が描かれている。

五条大橋

牛若弁慶五条大橋恋戦


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