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概要編集

島根県仁多郡奥出雲町にあるJR西日本で、1934(昭和9)年に木次線の駅として開業した。木次鉄道部管理の簡易委託駅である。


駅舎は開業当時のもので、入口にはJR西日本職員手作り(出典:「もっとつながる木次線」ページ)のしめ縄がある。奥出雲町の重要文化財に指定されている。

駅前には奇稲田姫の像のほか、木次線全通60周年を記念し設置された腕木式信号機がある。


駅の愛称編集

当駅の愛称は「奇稲田姫(くしいなだひめ)」である。

以下は駅にイラストとともに設置されている説明文である。ただし、一部読みを補っている部分がある。


奇稲田姫編集


駅の東南に稲田神社があります。この辺りで奇稲田姫が生まれたと伝えられています。父神は脚摩乳(注:あしなづち)、母神は手摩乳(注:てなづち)八岐大蛇(注:やまたのおろち)の難を救い、姫を娶(注:めと)られた素戔嗚尊(注:すさのおのみこと)が降(注:あも)られた鳥上の峰(船通山)は、ここより東方、斐伊川の上流にそびえています。


素戔嗚尊と奇稲田姫の結婚編集

※文末口調の不統一等は原文ママである。


素戔嗚尊は八岐大蛇を退治して奇稲田姫を救い結婚の約束をされた。そして結婚によい所を探されました。ついに須賀に着かれ、そこで、「ああ、私の心はすがすがしい」といわれました。そして、そこに宮を建てられました。そのとき素戔嗚尊は「八雲立つ、出雲八重垣、妻ごみに、八重垣つくる、その八重垣を」と口にされました。これがのちに言う三十一文字(注:みそひともじ)、五・七・五・七・七という日本初の恋歌でありわが国の和歌のはじめと言われています。


駅構内の手書き掲示物編集


この駅の建物は、大社駅と共に日本でも珍らしい構えの一つである。出雲大社とこの地横田の稲田神社とがゆかり深いところから大社駅になぞらえて神社建築の美しさを取入れたものである。上掲の写真は彫刻家荒川島斉がものした「稲田姫の像」で、現在出雲大社の宝物として保存されている一丈に及ぶ大作であり、明治廿六年、シカゴでの万国博に出品し好評を博したものである。

稲田神社の祭神、稲田姫命は出雲大社の祭神である出雲太古の国土経営の完成者であった大国主命の祖神、須佐之男命の妃である。須佐之男命は、韮の川上、鳥上の峯の麓、この横田に於て、暴威を振った鉄山族を討伐し、この地の先住豪族の娘、稲田姫を妃として、出雲の国土開拓の先駆者となつたのであり以来、今日に至るまで、この地には品質の優れた砂鉄を産し、戦前は日本刀の唯一の材料となり、戦後は世界に誇る特殊鋼の原料となっている。


駅構造編集

現在編集

2面2線の地上駅。駅舎側が2番のりば、向かい側が1番のりばである。跨線橋はなく、構内踏切で結ばれている。


乗り場路線方向方面備考
1木次線上り木次宍道方面折り返し始発は2番のりば
2木次線下り備後落合方面

※記載駅名は駅時刻表に準拠。


利用状況編集

  • 2017(平成29)年度の1日平均乗車人員は100人である(国土数値情報より)。

利用状況比較表編集

年度乗車人員
1981年(昭和56年)度218人
1984年(昭和59年)度377人
1994年(平成6年)度337人
2000年(平成12年)度256人
2008年(平成20年)度180人
2009年(平成21年)度170人
2010年(平成22年)度138人
2011年(平成23年)度122人
2012年(平成24年)度117人
2013年(平成25年)度140人
2014年(平成26年)度115人
2015年(平成27年)度113人
2016年(平成28年)度101人
2017年(平成29年)度100人

隣の駅編集

種別←宍道方面当駅備後落合方面→
あめつち木次駅出雲横田駅(※米子発の上りは出雲三成駅にも停車)
おろち号亀嵩駅出雲横田駅八川駅
普通亀嵩駅出雲横田駅八川駅


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木次線 島根県内の駅一覧


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