概要
名前の「クシ」は「霊妙、素晴らしい」、「ナダ(名田)」は稲田を表す言葉であり、クシナダヒメは豊穣、豊かな稲田を象徴する女神である。日本書紀では「奇稲田姫」と表記される。神格は農耕神。ご利益は五穀豊穣や縁結びなどである。
クシナダヒメはアシナヅチ・テナヅチの八人娘の末娘だったが、夫婦は毎年自分の娘をヤマタノオロチに生贄として喰われていた。既に七人の姉が犠牲となり、とうとうクシナダヒメも生贄となる時期を迎えたところに、高天原を追われて出雲の肥の河に降りたスサノオがやってくる。当時のクシナダヒメは原文で「童女」と表記されるようにまだ年端もいかない娘だった。
アシナヅチ・テナヅチ夫婦はスサノオに毎年の生贄の事を話し、それを聞いたスサノオはヤマタノオロチ退治を請け負う代わりにクシナダヒメを自分の嫁にする事を要求する。夫婦はまだスサノオの素性を知らないため最初は訝しむが、彼がアマテラスの弟と名乗るとこれを了承し、この娘の命が助かるならば…とクシナダヒメを献上する。
すると、スサノオは差し出されたクシナダヒメをその場で櫛に変えてしまう。命を助けてもらえる…と思いきや次の瞬間にはあろうことか無生物にされてしまって、本人も両親もさぞ驚いたことであろう。
このとき櫛になったことから、古事記では"櫛名田比売"と表記されるという。クシになったヒメ→クシナダヒメという言葉遊びとする説もある。
スサノオは櫛に変えたクシナダヒメを自らの髪に挿し、アシナヅチとテナヅチに指示して八つの酒槽に満たした酒を用意させ、ヤマタノオロチが酔いつぶれた所を切り殺す。
スサノオがヤマタノオロチと戦っている間も、クシナダヒメは櫛にされたままスサノオの髪に挿さっていた。
この後、スサノオは出雲の須賀の地に新居として須賀宮を建てる。このとき大地から雲が湧くのを見て、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
という歌(出雲神詠)を詠んだという。
こうしてクシナダヒメはスサノオの妻になったとされるが、原文ではクシナダヒメ本人は櫛に変えられた場面を最後に一切登場しなくなり、櫛から元の姿に戻ったのかどうかすら触れられていない。
一応、妻に迎えられているのでヤマタノオロチ退治後に元の姿に戻されたとする説が有力ではあるが、ずっと櫛のままだったと解釈する説もある。
現代語訳された作品ではクシナダヒメが元の姿に戻る描写が追加されることもある。特に漫画・絵本・映像作品などの場合は、命を救われたはずのヒロインがいつまでも櫛にされたままでは絵面的にも不自然なためか最後は元の姿に戻っていることが多い。
結婚した後は子宝に恵まれ、仲睦まじく暮らしたと云われていることから縁結びのご利益があるとされている。
狼藉で高天原から追放された荒くれ者を一目惚れさせ、日本一の英雄神へと生まれ変わらせた逸話から日本一の上げマンとも言える。
その後、二柱の間に八島士奴見神が生まれている。ただし上述のように櫛に変えられたクシナダヒメが元の姿に戻ったかどうかは不明なため、スサノオに娶られたクシナダヒメ自身が身籠ったのか、それともクシナダヒメの変化した櫛からスサノオが生み出したのかは定かではないが、系譜上はスサノオとクシナダヒメの間の唯一の子にあたる。その五代後裔が出雲神話の中心人物オオクニヌシである。
後にオオクニヌシがスサノオの元(須賀ではなく根の国)を尋ねた際も、そこにクシナダヒメの姿はなく名前すら出てこない。単に描写を省かれただけの可能性もあるが、何らかの理由で別居している、あるいは夫より先に黄泉へ旅立ってしまった、まだ櫛のままどこかに保管されている、など様々な解釈を生んでいる。
ヤマタノオロチ退治で、クシナダヒメは氾濫する荒々しい河川(ヤマタノオロチ)が治水の技術(スサノオの力)によって制御された事による、稲田の生産を意味するといわれる。
一方クシナダヒメに、ヤマタノオロチ(水霊)に仕えた古代の巫女の姿と考える説もあるらしい。またクシナダヒメを父母であるテナヅチとアシナヅチの名の意味と絡めて、「やまとなでしこ」の語源とする説がある。
余談
クシナダヒメが櫛に変えられた理由は諸説あるが、単に姿を隠そうとしただけでなく「スサノオが生命力と呪力を得るためだった」という説がある。古来より新たな生命を生み出せる女性は生命力の源泉と考えられており、櫛には呪力が宿るとされていた。また、櫛の素材として使われる竹も生命力の溢れるものとされていた。
つまり、女性であるクシナダヒメを竹製の櫛に変身させることで
- 元が女性であったことによる「女性の生命力」
- 形状が櫛に変化したことによる「櫛の呪力」
- 材質が竹に変化したことによる「竹の生命力」
を併せ持つことになり、スサノオはこの櫛を身に着けてヤマタノオロチに対抗する力を得ようとしたと解釈するのである。
別の説として「婚姻の暗示」とする説もある。両親であるアシナヅチ・テナヅチの名には「手足を撫でる」の意味があり、クシナダヒメは両親から手足を撫でられながら育てられた娘ということになる。こうして育てられた娘の形を変えて両親が手足を撫でられなくしてしまうことで、「お前たちの娘を、これより我がものとする」というスサノオの意思表示と解釈するのである。
とはいえ、嫁がせた娘をまさか文字通り「もの」にされるとは、両親も予想外だっただろう。
また、日本では求婚する際に相手に櫛を贈る習慣があり、クシナダヒメ自身がこの「櫛」になってスサノオに贈られたとする説もある。ただし日本でこの習慣があったのは江戸時代のことであり、この説は後付けともいえる。
映画『日本誕生』において
映画「日本誕生」(東宝、1959年公開)においてヤマタノオロチ退治のエピソードも映像化され、クシナダヒメも登場する。キャストは上原美佐。
登場からわずか数分で櫛に変わってしまうため人の姿で映っているシーンは短いが、原典ではほとんど描かれなかった部分も脚色を交えながら描写されている。
オロチ退治の支度にかかる際、そのままでは大蛇の目につくためしばらく姿を変えねばならないとスサノオから宣告される。それを聞いたクシナダヒメは不安そうな反応をするが、スサノオはクシナダヒメの体を抱え上げお姫さま抱っこの体勢で彼女に術をかける。するとクシナダヒメはみるみる小さくなって、人の形を崩しながらスサノオの手の中に吸い込まれていく。目の前でその光景を見せられる両親が呆気にとられる中、スサノオが掌を開くとそこには櫛が収まっていた。
ちなみに、櫛になっている間もクシナダヒメ本人の意識は残ったままだが苦痛はなかった模様。スサノオの髪に挿された後、苦しいかと問われた際には念話のような形で「何ともございません」と答えていた。
ところがオロチ襲来を待っているときにスサノオが頭を振った際、櫛が外れて床に落ちてしまう。このとき両親が狼狽える一方でクシナダヒメは何の反応もしていなかったが、本人からすると体長の十倍以上の高さから受け身も取れずに床に叩きつけられたわけで、その衝撃で気絶してしまったのだろうか…。スサノオは床から櫛を拾い上げて優しく手でポンポンと撫でた後、今度は落とさないよう懐に仕舞うのだった。そのため、以降はオロチ退治の最中もクシナダヒメはスサノオの懐に収納された状態となる。
オロチ退治後は無事元の姿に戻された。
『女神転生シリーズ』のクシナダヒメ
ゲームでは他の女神族の例にもれず、回復スキル持ちが多く、「真・女神転生」のMP吸収・分配スキルやエストマの所持、「真・女神転生Ⅲ」の会話・マップ自動スキル等変わった能力を持つ。特にエストマはRTAで重宝するので、作品によっては彼女を使うチャートも。
当初のデザインはキクリヒメの色違いだったが、「真・女神転生Ⅲ」以降は黒髪で灰色の肌、櫛があしらわれた緑色の衣服に身を包んだ姿で登場している。