劉海王
りゅうかいおう
白林寺の総帥。100歳を超える拳法の達人。
烈海王やドリアン海王など優秀な人材を育て上げた名手で、「拳神」「中国の誇り」「(白林寺において)実力ナンバーワン」「あの人は特別」と評されるなど、名声・実力ともに素晴らしい人物である。
100歳を超えてなお筋骨隆々の巨体を誇る。
身長もかなり高く、範馬勇次郎(約190cm)と並んでも勇次郎の頭三つ分以上は高いという、かのジャック・ハンマーとすら比肩する巨体である。そのサイズ感はアライJr.に一目で「デケ~」と驚かれるほど。
武神と呼ばれる愚地独歩でさえ60そこそこの年齢で加齢による肉体のピークを感じるなど、年齢が強さに影響を与えるバキ世界において、100歳を超えながらこれほどの肉体を作り上げている劉海王は異常な存在と言えるだろう。むしろ独歩と同じくピークは過ぎており全盛期はもっと強かったのかもしれないが。
100歳の誕生日を迎えた際は「漸く人生の半分を生きた」とうそぶいている。
登場初期の粗暴な頃の烈にも尊敬されるなどかなり度量の広い性格。
アロハシャツのような少し派手目な格好をしている場面もありオシャレにも気遣っているようだ。
瓦割りなど無機物を相手に訓練する意義を勇次郎に問われた際は「何者も傷つけることなく上達の実感を得られるのは無意味とは思えない」と、強さを求めつつ他者に危害を加えることを憚らない勇次郎とは正反対の考えを持つ。
中国拳法に誇りを持ってはいるが、大擂台賽にマホメド・アライにも出場して欲しかったと考えており、決して中国拳法至上主義などではなく、他流武術にも見識があり魅力を感じている模様。
勇次郎のことは史上最強の生物として以前から知っており、烈も勇次郎のことは会う前から劉から聞いていた。
ただし、まだ少年であり瀕死の重傷を負っている刃牙を大擂台賽に出して欲しいと烈に進言されたときは流石に厳しい表情はしていた。が、瀕死ながらも高い実力と闘志を示した刃牙を見て大擂台賽参加を認めてくれた。
烈自身は「烈海王」の武名を劉海王から頂戴したことをピクル戦にて回想しており、師から賜った武名を「己のすべて」として誇りにしている。また、後述の通り劉海王が勇次郎に敗北した際は激昂し直ぐに勇次郎に仇討ちに挑もうとするなど、師匠として強く尊敬の念を抱いている。
事実、烈は劉海王の他にも郭海皇にも師事されているが、自分から師匠に会いに行く際は劉海王のところだけであり、最も尊敬しているのはやはり劉の方のようだ。
烈をはじめとする多くの門下生から尊敬され、海王と呼ばれるに相応しい実力の持ち主である。
前述の通り白林寺の門下生から実力ナンバーワンと呼ばれているため、少なくとも烈と同等以上の力は持っていると思われる。
石作りの水槽の端を殴っただけで数十m先まで波を立て、烈が反対側から打ったことによって生じた波と撃ち合って水槽を破壊するほど。
烈と違う点として、烈は水槽を殴った瞬間に波が発生しているが、劉海王のそれは殴ってからなぜか水面が静まり、それから巨大な波が発生するという明らかに物理法則がおかしい芸当をしている。
郭海皇や烈でもこのような芸当は作中見せていないため、劉海王も彼らと別ベクトルで凄まじい技術の持ち主である。
シャオリーを習得しているかは不明だが、勇次郎や宮本武蔵レベルの相手にはシャオリーは手加減していない限り通じないため、勇次郎としか戦っていない劉はシャオリーを修めていようと発揮できる場面は無かった。
烈が勇次郎の実力を近代兵器に例えつつも「海王の圧勝」と豪語するのに同意しており、劉自身も近代兵器を使われようとものともしない実力と思われる。
また、ドリアンが岩山を一晩で堀り開通させた事実を、海王になるための実力の指標として修業時代の烈に見せつつ海王になるには技術の程度が低いと示しており、海王である劉もまたドリアンと同じく素手で岩山にトンネルを作るくらいは出来るようだ。
擂台賽戦後は後述の通り勇次郎に倒され、一応治療が間に合い存命らしいが、回想シーン以外では現状登場していない。
ただし金竜山がグラップラー刃牙以来20年ぶりにバキ道にて再登場しているため、劉海王も今後登場する可能性はなくは無いと思われる。
中国大擂台賽に参戦。
しかしよりにもよって初戦の相手が範馬勇次郎。開始わずか数秒で面皮を剥がれるおぞましい攻撃を受けてしまう。
これに激怒した烈海王が勇次郎に立ち向かおうとするも阻止して自ら立ち向かったが、ハイキックを受け再び倒されてしまった。
・唯一の対戦描写である勇次郎戦にて勇次郎に圧勝されてしまったこと、
・打岩の出来が綺麗な真球を作り上げた烈に劣ること、
・勇次郎戦以降は登場しておらず郭海皇が以前から師匠であった描写があり劉の師匠としての存在感が薄まっていること、
以上の点から者から多くの読者から評価は良いものではない。
ただし、あまりにも過剰なキャラ下げや、根拠の無い理由等で劉海王を貶める読者が多いのも事実である。
まず勇次郎戦に関して。
そもそも勇次郎からすれば手加減する必要もなく、殺してしまっても問題ない擂台賽である。
にもかかわらず、勇次郎との対戦では勇次郎に顔面の皮を剥がされコンクリートの地面に顔を叩きつけられるも自力で復帰し、再度勇次郎に挑み後ろ蹴りを仕掛けており非常にタフ。勇次郎はそれを躱し皮の剥がれた顔面に渾身のハイキックを食らわせ劉海王はあえなく倒れるものの死亡はしておらず、結果的に勇次郎に3度の攻撃を急所となる顔面に浴びせられたものの命に別状はないという凄まじい耐久力を見せた。
特筆すべきは勇次郎が劉の蹴りを躱したこと。郭海皇戦でも刃牙にも突っ込まれているが、勇次郎は基本相手の攻撃をあえて受けて実力差を見せびらかし、相手の攻撃に対して引く事などとは滅多にないのだが、劉海王の後ろ蹴りは勇次郎自ら身を躱している(後の宮本武蔵戦でも身を躱すのいつ以来かと自ら言うほどである)。
しかもこの時勇次郎の服が破れているため完全には躱しきれていなかったのである。
近距離から発射された捕鯨砲すらたやすく捉える勇次郎の反射神経を考えるに、劉海王の脚力がどれほど凄まじいかが窺い知れる。
もっと言えば、勇次郎が初手で劉海王の皮膚への攻撃を仕掛けたのも異常である。刃牙がピクルへ鞭打を仕掛けたように、皮膚への攻撃は格上にも通用する奥の手のようなものであり、余程の事が無い限り相手の土量で持って基本は力技で圧倒するスタイルの勇次郎が真っ先に急所となる顔面の、それも皮膚への攻撃を仕掛けたのは、劉海王が勇次郎をもってしても真正面から挑むには手こずる相手だったと言えよう。
勇次郎は擂台賽に参加した理由の一つが中国海最強の郭海皇を戦うことであったが、本命と戦う前に傷を負うのは相手への礼儀を欠ける行為である(武蔵に挑む烈に郭海皇が語っている)。
劉海王相手にはダメージを負う可能性があったため楽しむ余裕もなくすぐに勝ちに走ったと思われる。
さらに言えばこの時の勇次郎は機嫌が悪い。
アライJr.にコケにされ怒り心頭だったうえに、無機物破壊など意味が無いという勇次郎に対して劉海王は「無意味とは思えない」ときっぱり反論している。自分の意見が通らないことを何より嫌う勇次郎は激昂しており、ポケットから両手を抜いて本気で劉海王を仕留めようと躍起であった。そんな勇次郎の攻撃から生き残り、勇次郎に逃げを選択させる威力の後ろ蹴りを放っているのである。
烈を抑えて実力ナンバーワンと言われるに値する武術家であるのは間違いない。
次に打岩の出来に関して。
見ての通り打岩の出来に関しては明らかに烈の方が劉海王の作ったものより完成度は高い、のではあるが、打岩の出来が実戦の強さに直結するわけではない。
そもそもの話、劉海王が実力ナンバーワンと言われているのは烈が真球の打岩を作った2年後の話である。2年の間に劉海王と烈が対戦をしたのか他の力試しを行った結果なのかは不明であるが、烈が真球の打岩を作ったことを踏まえても劉海王の方が実力は上であると言われており、烈も特に反論はしていないのである。烈ならば師匠であろうと同じ同門の者に力を示そうと戦いを挑むであろうが、劉海王の強さに異を唱えていない以上は、打岩の出来は実力に関係していないのは明白である。
最新シリーズの刃牙らへんにおいても、鎬昂昇が独歩の針金斬りを実戦とは別物と評しており、いかに無機物を綺麗に破壊出来たところであくまで修行の過程に過ぎず実戦での実力の指標にならない。
また、劉海王がいつ打岩を作ったのかも謎である。
烈よりも前であれば、後発は先達の作ったものを見てより良いものをと研鑽するのは当然であり、劉海王がある程度作ったものを超えられなければ意味が無い。烈が真球を作ったのを見て劉海王も同じく真球を作るか同程度の技量を示した結果、実力ナンバーワンと呼ばれているのだろう。
あるいは門下生の大勢いる劉海王は時間に追われているためある程度実力を示せれば良いので、打岩を多少形になる程度作ったところで十分だと止めただけで、その気になれば真球の打岩くらい作れたのかもしれない。
要するに門下生が大勢いて忙しい劉海王と、暇な烈の差ということかもしれない。
師匠としての存在感に関して
前述の通り郭海皇の登場で立場が弱いと思われ、挙句に存在を忘れられたとまで言う輩も存在する。
しかし郭海皇登場後も劉海王は師匠としての立場を奪われてはいない。
郭海皇は以前から烈に師事していたわけだが、烈が助言を貰いに自ら会いに行ったりするのは劉海王の方であった。
郭海皇はどこかの寺に従事しているわけでなく自由に行動できるため烈や克己に教えに行くことはあるが烈側が自分から郭に会いに行ったことはない。
烈が勇次郎に関して知っていたのも情報も劉海王から聞いていたからであるし、
何より劉海王から授けられた烈海王という武名を己の全てとして父母同様誇りに感じており、烈が白林寺に入門した際の回想も劉海王との出会いである。
烈にとって劉海王の存在は少年時代から自分を受け入れ育ててくれた父母とも並ぶ存在なのである。
烈に取って師事者は複数おれど、最も尊敬し師匠として大切にしているのは劉海王なのである。
願わくば劉海王が再び再登場し、烈の師匠として大いに活躍してくれることを願うばかりである。