概要
大分県に伝わる民話。
昔むかし、豊後の国(現在の大分県)の傾山の麓にある上畠の里に、吉作という逞しい若者が住んでおった。
吉作は険しい岩と原生林に囲まれた傾山で岩茸を取って生計をたてていた、岩茸は薬の材料として高く売れるのだが断崖絶壁にしか生えないため、命綱を握ってぶら下がりながら岩茸を竹べらでこそぎ落して採集するのは命がけの仕事だった。
だが天涯孤独で身よりのない吉作は、そんな危険な仕事をしなければ生活できなかった。
ある日、吉作はいつものように崖にぶら下がって岩茸を探したが、取り尽くしてしまったのかまったく見つけることができなかった。
そこで吉作は、いつもは危険だから行かない急な斜面に行って探す事にした。吉作の読みは当たり、そこには岩茸がたくさん生えており、吉作は夢中になって岩茸を取りまくった。
腰に下げていた籠が岩茸でいっぱいになった頃、吉作は自分がぶら下がっている真下に、腰をかけるのに丁度いい大きさの岩場があるのを見つけた。
そこで休憩しようと思いついた吉作は、縄の長さぎりぎりまで下がって、岩場につくと縄を手放してそのまま腰を下ろして、景色を楽しみながら休憩をした。
そして休憩が終わり、吉作はふたたび作業に戻るべく頭上にあるはずの縄の先を掴もうとするが、なんと既にぎりぎりまで伸びきっていた縄は吉作の体重がなくなった分、元の長さに縮んでしまっており、その先端はどう背伸びしようと跳ぼうと吉作の手が届かないところにあった。
慌てた吉作は絶壁をよじ登ろうとするが、掴む所も足を掛けるところもない絶壁を登る事はできなかった。
自力で脱出することは不可能と悟った吉作は大声を上げて助けを求めたが、深い山奥に人が来ることなどなく、すずら越えの峠道に旅人が通るくらいだがそれも時期外れなのでほとんどいなかった。
それから数日間、空腹と恐怖に耐えながらそれでも声を張り上げて助けを求める吉作だったが、その声は谷間に何度も反響する内にどんどん歪んでいき、人の耳に届く頃には化け物の叫び声のようになっていた。
そのため「傾山には化け物がいる」という噂が立って、ますます人が来なくなってしまった。
上畠の里でも、身寄りのない吉作が行方不明になったのと、謎の声を結びつけて考える者はいなかった。
そして数日の時が流れ、吉作は飢えと恐怖ですっかり衰弱してしまい、もはや助けを求める声を出す気力も失われていた。
「鳥のように飛んでいけたらなぁ」ぼんやりとそう思って吉作がふと足を組みなおすと、傍らにあった小石が足に当たりそのまま岩場から転げ落ちていった。
上から見下ろすと、その小石はまるで木の葉が舞い落ちるようにゆっくりと落ちていくように見えた。
過酷な遭難生活で心身共に衰弱しきっていた吉作には、もはや正常な判断力が残されていなかった。
「ここから飛んだら、俺もふんわりと林に舞い、静かに谷間に降りられるかも、しれん……」
吉作はついに岩場から身を躍らせた。秋の夕日を浴びた谷間の岩は林の紅葉より赤く染まって美しく見えた。
はじめて見るその激しい程の美しさに、吉作は涙を流した。その美しさの中に、吉作は消えていった……。
すずら越えの峠道に、ふたたび人が行き来するようになったのは、その年の秋が終わる頃だった。
ほんのちょっとした気の緩みで吉作は命を落としてしまった。
後にこの事を知った村人たちは、あの岩場を「吉作落とし」と名付け、山に登る人々の戒めとしたという。
余談
後にこの民話は、まんが日本昔ばなしでアニメ化されたのだが、吉作の絶望感と正気を失う様子が生々しく、とにかく救いがないとして屈指のトラウマ回だと多くの視聴者に衝撃を与えた。