概要
同田貫一派の祖・小山上野介信賀(=同田貫正国)の実の兄であり、もとは左馬介(さまのすけ)・国勝。
加藤清正からそれぞれ「清」「正」の字を一文字ずつ賜り、「清国」「正国」と名乗り、清国は伊倉地方で木下同田貫を、正国は亀甲(旧 同田貫村)で小山同田貫を興し、それぞれ刀工群をまとめ上げていたとされる。
ただし、後に名を遺した弟・正国に対し、兄・清国の方は正国に比べてはるかに作刀も少なく、一代限りで鍛刀は廃業し、民籍に入ったとされる。
また、同田貫というのは地名であるため、亀甲を出た清国の作には「同田貫」と銘を切った物は確認できず、(現存する作の多くは「肥州住藤原清国」と銘を切っている)厳密に言えば「同田貫清国」という刀は存在しないとも言える。
また、一説によれば島津氏が肥後を占領していたころ薩摩に連行され、現在の伊佐郡伊佐町で鍛刀しており、豊臣秀吉の島津征伐後は解放され、代わって加藤清正の抱え工となったとされる。
そのため、「薩州住藤原清国」と彼を同一視する説もあるがこちらも確証はない(この説が真実だとすると、刀工・清国は加藤清正が肥後に入る前から清国を名乗っていたことになり、清正から名の一字を賜った説と矛盾する)。
その後清国を祖とする木下家は、玉名地方の惣庄屋となり、シェイクスピア研究家・劇作家である木下順二をはじめ、県議会議長・衆議院議員・伊倉町長など、多方面に渡る人材を排出する名家へとつながっていく。小説家である徳富蘇峰・徳富蘆花も親戚筋である。
そのため木下家の関連書籍には、一族の祖として彼の名前があげられている物も多数ある。玉名市立歴史博物館に足を運んだ際には、確認してみるのも面白い。
実在する作としては、薙刀(少なくとも個人所蔵の物と熊本市立熊本博物館蔵の二振りが存在する)や、同じく長らくの間個人所蔵であったが、2015年9月17日寄贈された刀が比較的著名である。
上記三点については玉名市立博物館発行の企画展図録にてその姿が確認できる。
また、近年発行されている刀剣関連の書籍で「国勝」名義の作が掲載された例もある。
2015年中には、正国の作と共に、刀が玉名市歴史博物館で展示がなされていた。
余談
上記の通り、兄・清国は伊倉、弟・正国は亀甲で活躍していたとされていたが、近年、「伊倉の墓標に正国の名前がある」との情報が女性ファンから寄せられ、調査したところ、小山上野介以外にも「正国」を名乗っていた刀工が複数いた可能性が出てきたと熊本の地方新聞で報じられている。
同田貫一派については現在も研究が進んでいない点が多々あり、今なお新事実が続々と発見されており、今後の研究が待たれる。
「刀剣乱舞」二次創作作品において
創作刀剣男士、或いは未実装刀剣男士として
刀工・同田貫正国に、実際に清国という兄がいた事から、主として同田貫正国の兄として描かれる。つまりリアル兄弟である。
刀種は現存する作に合わせ(詳細後述)刀や薙刀であることが多い。
だがあくまでも未実装刀剣男士である上に、大包平や貞ちゃん、千子村正のようにゲーム中で存在をセリフ等でほのめかされた訳でもなく、公式からの情報は一切ない。
さらに言うならば、現在ゲーム内では同一の作者の刀種違いで兄弟扱いされている粟田口兄弟や、髭切・膝丸のように公式で兄弟として位置づけられていると言った兄弟刀の例はあるが、刀工同士が兄弟である場合に、その作である刀も兄弟扱いされるかについては前例がない(二次創作において、刀工が叔父と甥である鳴狐と粟田口一派の続柄が、刀剣男士についても反映されていることもあるが、あくまで二次創作上の見解であり、公式からそういった情報はない)。
あくまでも全てユーザーの想像である点には注意が必要である。
だが可能性は無限大。
タグを付ける際の注意点
重ね重ねであるが、あくまで史実においては実在しているが、ゲーム内では未実装かつ情報は皆無である。
そのため、オリ刀剣・創作刀剣男士・創剣乱舞・未実装刀剣男士等のタグを併用することが望ましい。