大手の白けつ
おおてのしろけつ
尻丸出しの姿をした妖怪。
1990年に刊行された『登米町誌 第二巻』によると、宮城県登米市登米町(当時は登米伊達家領)に現れ、名前の通り白い尻を橋の下から突き出して大声を出しながら迫ってくるという。
この妖怪についてはこのような話が伝わる。
時は江戸時代の万治元年(1658年)、城勤めのとある武士が、仕事から帰る途中に突如橋の下から現れた「大声を出す白い尻の妖怪」に出くわした。
異様な事態に驚きつつも刀で斬りつけたところ、化け物はあっけなく絶命したが、その正体は事もあろうに尻を出した人であった。
なお彼はこれを父に報告し、検死が行われることに。
その結果、この男は岸波太郎左衛門なる人物の部下であり、妖怪のふりをして人を驚かすことが好きな変態者だったと判明。
うわんやべとべとさんのように大声・物音で驚かせるとか他にもやりようはあったはずだが、なぜ尻を出す必要があったのか…。
何にしてもこいつ変態だー!!
ちなみにこの変態者や岸波がどのような人物であったのかは伝わっていない。
この部下にしてこの上司あり的な変人だったのか、単にこいつが超ド級の変態だったのか……。
またこいつを斬った武士は横山外記(加賀藩・人持組の一族)の子とされるが、彼の名も伝わっていない。
ともあれ人を斬ったのは事実なのでうやむやにするわけにもいかず、どのように解決すべきか登米伊達家の家老たちが話し合ったが、結局彼らでは意見がまとまらなかったため、意見を求めて飛脚を仙台に送る事に。
しかし岸波とこいつの名誉を守るためか、「主人の命で切腹した」ことにされてしまったらしい。
切腹は武士の最期の名誉だから仕方ないね。
この珍妙な事件は、誰言うともなく大手の白けつと呼ばれるようになったとか。
この怪談というか珍事件が起きた万治元年(1658年)は仙台藩において伊達綱宗が藩主となった年で、当時の登米伊達家の当主は綱宗の庶兄でもある伊達宗倫であった。