概要
今では国民的スターでもあり、アカデミー賞やブルーリボン賞など数多く受賞した名俳優大泉洋の下積時代の芸名。別名『元気くん』。
1995年、北海道テレビのモザイクな夜で彼がテレビ初デビューを飾った時に付けられた芸名であり、主にススキノを中心としたキャバレー等の風俗店をリポートし、ホステスとトークをするのが彼の初仕事だった。デビュー当初はカメラに目を向けれない程緊張していたが、次第にトーク力が上がり世間から大受けしたことからスタジオレギュラーとして呼ばれる事も多くなって行った。
当時の大泉の髪型は今の天然パーマでは無く、パンチパーマの短髪であり、そこにロングパーマのカツラを付けたものだった。衣装は乳首丸出しの格好で回を重ねる毎にET風の落書きが加えるなどバージョンアップしていき、その度に白目を向きながら「殺す…」とボヤいていた。因みに大泉元気の名付け親は後の水曜どうでしょうで共演する鈴井貴之である。
そもそも元々元気くんというのは鈴井が旗揚げした劇団メンバーの田中護が担当していたが、田中が東京進出と同時に降板した為、大泉は事実上二代目の元気くんとして活動した。
なお、この頃の活躍は後々でも触れられ、水曜どうでしょうのサイコロ旅1では発狂して服を脱いで上半身丸裸になった際に鈴井から「あ!元気くんだ!元気くんだ!乳首出してる元気くんだ!」とイジられ、ドラバラ鈴井の巣でも上記の乳首丸出しの元気くんの衣装で企画会議に参加する等と有名となり、それから20年経った現代でも嵐にしやがれやしゃべくり007でも紹介され、その度に共演者からこの人本当に役者なの?とコメントされるのがお約束となっている。