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大石綱元

おおいしつなもと

大石綱元(天文元年(1532年) - 慶長6年1月12日(1601年2月14日))は、戦国時代の武将。

略歴編集

武蔵の守護代を務めたこともある大石氏の一族とみられる。当初は山内上杉氏家臣だったが、1552年、後北条氏との争いに敗れ長尾景虎(上杉謙信)を頼った上杉憲政に従い越後国に入り、その後は長尾氏家臣となる。

御館の乱では上杉景勝方に付き、会津転封後は保原城代を務る。

安田能元、岩井信能と共に会津三奉行に数えられるほど政務に明るい人物で、特に街道や城下整備などの土木建築分野を得意としていた。


戦国大戦において編集

上杉家の武将として参戦。

見出し画像は戦国大戦のイラストがモデルになっている。


スペックはコスト1 武力2/統率4の弓足軽で、特技は「防柵」。

能力面で考えるとコスト相応であり目立った点は無いが、コスト1点で防柵を持つのは少ないため貴重な存在。


持ち計略は「正兵の構え」。

他の様々な武将も用いる「武力と統率を3ずつ上げる」汎用計略となっている。


「よ~し!

  それがしもがんばりますぞ!」

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