概要
1903~1989。現在の浜松市北区出身。現役時は字の達筆さから「角界三筆」とも呼ばれた。
1932年1月、複数の関取が現在の品川区大井にあった中華料理店「春秋園」に立てこもり、10項目の要求を日本相撲協会に提出し、交渉が決裂してしまったため日本相撲協会を脱退~大日本新興力士団を結成するという「春秋園事件」が発生した。その際、主導したのが当時、関脇だった天龍である。
角界においてストライキを決行した力士は後にも先にもこの天龍(三郎)のみであるが、要求の中には「力士の給与や年金を世間並みに向上させること」も含まれており、現在の角界では、十両以上になると月給が日本相撲協会より支給されるなど、待遇面でかなりの改善が図られている。このことから、(自身が活躍した時期は大正~昭和初期のみとはいえ)戦後の角界復興の陰の功労者として評価されてしかるべき人物といえる。
ちなみに東京・銀座にある「北京料理 銀座天龍」の創業者でもある。