家族の絆(累・鬼滅の刃)
かぞくのきずな
十二鬼月「下弦の伍」である累は、鬼として上位に位置する実力者。単純な力の強さだけでなく、異能の鬼として特異な「力を分け与えられる」能力を有していた。
鬼狩りから逃れるため、累が縄張りにしている那田蜘蛛山へやってきた弱い鬼を"家族"として引き入れていた。
累の"家族"となるには、彼の血を分け与えてもらうのだが、その工程は激痛を伴い、累の血が体へ定着した仕上げには、累から無理矢理に顔の皮を剥がされ、顔立ちや身体を家族(累)へ似せた風貌に変化させられる。また外見を似せる他に、糸の生成や毒液など蜘蛛のような能力を個々に分け与えられる。
そうして"家族"には〝家族の役目〟をこなす義務が強いられる。母には母の、父には父の、子には子の、それぞれの〝役目〟を全うするのだと(それは前述の容姿を維持する事も含まれている)。もし〝役目〟を十分に果たしていない者は、累や他の者からいともたやすく折檻・処刑される。
そう。累の"家族"にある実態は恐怖によって縛りつけ、従わせ、支配するという、到底「家族の絆」とは呼べないものだった。
これは累の渇望する家族像「我が身を呈してでも子(累)を守る」ためであったが、子(累)自身は強すぎて守られる必要はないという矛盾のような事情もあり、より混沌としたものが絡みついていた。
だが、これらを累の真相と照らし合わせると、がらりと意味合いは大きく変わる。
※以下、ネタバレ注意
鬼の累が〝家族の絆〟に執着していたのは人間だった「思い出」が関わっている。
まず"家族"という絆を重んじたのは、人間だった頃に聞いた「川に落ちた我が子を命懸けで助けた親の話」が心に留まっていたから。この話を知った人間の累は感動し、親の愛で〝家族(親)の役目・我が身を呈してでも子を守る〟を全うしたのだと憧憬を抱いていた。
それ故か、人間から鬼になった後も累は、今まで通りに両親の元で暮らしていた。
しかしある日、人を殺して喰っているところを両親に見られてしまう。母は泣き崩れ、父は慟哭しながら就寝中の累を殺そうとしたため、目を覚ました累は激昂、両親を手にかけた。
「僕たちの絆は偽物だった」と自分を納得させようとしていた累。
だが、まだ息のあった母は「丈夫な体に産んであげられなくて…ごめんね……」と詫びながら事切れた。
累は愕然となる。
そして直後に理解した。先刻は怒りのあまり分からなかったが、父も「大丈夫だ累 一緒に死んでやるから」と言っていた。そうなのだ。父も母も、我が子の罪を共に背負い、死ぬつもりだったのだ。
気付いた時にはもう遅かった。累は自分自身の手で、本物の絆を切ってしまったのである。
そんな累に無惨は悪魔のごとく囁く。
「全てはお前を受け入れなかった親が悪いのだ 己の強さを誇れ」
自分が悪いのだとわかっていても、もはや彼にはその言葉にすがりつくしか術はなく、父母恋しさの代用品として偽りの『家族』を作っても、虚しさは深まるばかり。人間の頃の記憶が薄れてゆくにつれ、自分が何をしたいのかも次第に分からなくなっていった。
この経緯からして、鬼の累にみられた言動と、長く強く生きるほど人間時代の記憶が混濁しやすい鬼の生態を照らし合わせると、『思い出と悔恨』が『歪んだ願望』に変異した事が窺える。
- 家族の絆→絶ち切ってしまった絆(もの)を取り戻したい
- 家族の役目→感動した話に関連した「思い出」の残余
- 家族の執着→自ら切ってしまった罪悪感に苛まれるが、それでも求めたい・果たしたい未練は〝執着〟となって現れた。しかし本当の絆は既にないと無意識にあるからこそ空虚感も伴っていた。
改めて顧みると、鬼の累が『家族』を求め繋いできた絆は虚しく、悲しく、儚いものであったのだ…。
そして、これらの真実が明らかになるのは、累が主人公兄妹・炭治郎と禰豆子の救出に駆けつけた義勇に頚を刎ねられて敗北し、炭治郎の温かく陽の光のように優しい手に触れられた時、人間だった頃のこれらの記憶を思い出すのだった…。
「全部僕が悪かったよう ごめんなさい」
〝謝りたい〟
それが本当に累が望んでいたものだった。
あの世へ逝く間、独り後悔の念に苛まれ続ける鬼の累。
「でも山ほど人を殺した僕は地獄行きだから、父さんや母さんと同じところへはいけない」と悔やむ彼の前に、両親の魂が現れた。
「一緒に行くよ 地獄でも 父さんと母さんは累と同じところに行くよ」
生前と変わらず優しく微笑む二人。人間の姿に戻っていく累は、滂沱の涙を流して繰り返し謝りながら、父母の魂に抱かれつつ地獄の炎に包まれて逝った。
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