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岡田勝

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おかだまさる

岡田勝は日本のスーツアクター、俳優、殺陣師、アクションコーディネーター。現在の大野剣友会代表(第2代)。

略歴

1950年埼玉県で出生。初め日本テレビ養成所に入所するが、日本テレビ養成所に殺陣指導に来ていた大野剣友会創設者である大野幸太郎の誘いを受けて、1967年に大野剣友会に入会する。

1969年の『柔道一直線』では、スタントを担当しつつ、端役として出演。

1971年の『仮面ライダー』において、蜘蛛男スーツアクターを担当して以降、佐野房信や中村文弥、大杉雄太郎らとともにショッカー怪人のスーツアクターを演じた。

センシティブな作品

旧1号のスーツアクターも兼ねていた藤岡弘、が撮影中の事故で降板すると、旧1号の代役の一人となり、旧2号編が始まると中村文弥とともに仮面ライダー2号のスーツアクターを演じた。

1972年に殺陣師の高橋一俊が事故で負傷して代わりの殺陣師を務めて以降は、殺陣師としても活動するようになり、1975年に高橋一俊が『秘密戦隊ゴレンジャー』の殺陣を担当して以降は、『仮面ライダーストロンガー』の殺陣を担当し、『仮面ライダーストロンガー』終了後は『秘密戦隊ゴレンジャー』第66話までの殺陣を担当する。

1980年に大野幸太郎の代表引退と会長就任を受けて大野剣友会の代表に就任し、1985年に大野剣友会を法人化して「大野剣友会アクションスタジオ」に改組。

2000年平成ライダー1作目『仮面ライダークウガ』制作にあたり、チーフプロデューサーの髙寺成紀より剣友会へのアクションのオファーが来たものの、人数不足で辞退している。

エピソード

仮面ライダーの制作秘話を題材とした仮面ライダーをつくった男たちでは、(実話かどうか不明だが)当時後楽園遊園地の仮面ライダーショーで仮面ライダー2号スーツアクターを担当しており、そこで仮面ライダーサイン会というサイン会で観客等にサインをしていたが、そこに訪れた子供二人の兄弟その一人の兄が、(仮面ライダー2号の)マスクの隙間から見えた目は一文字隼人じゃない」と弟の夢を壊した発言したことでそれを聞いた岡田氏は、「誰がにせもんだコラぁ!!」と怒鳴りつけたことがある。「見ろ弟泣いてんじゃねぇか!!お前兄ちゃんだろ。兄ちゃんだったらなぁ、弟の夢壊すよじゃねぇ!!」と弟を泣かした兄に言ったことがある。

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