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中村文弥

なかむらぶんや

日本の俳優、スタントマン、スーツアクター。 昭和の仮面ライダーシリーズをはじめ、東映制作の特撮作品を中心に活躍した。故人(1946年~2001年)。
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概要編集

1946年(昭和21年)1月10日生まれ。

17歳で東京都内の小劇場に入り、1966年(昭和41年)大野剣友会に入会。大野幸太郎に師事し、殺陣や立ち回りなどを習う。

1969年(昭和44年)柔道一直線でデビュー。以降、アクションスタントを中心にテレビドラマ、映画などで活躍。


1971年(昭和46年)仮面ライダーで剣友会がアクションを担当、主に戦闘員怪人役が多かったが、その後仮面ライダー2号スーツアクターに昇格した。

そして、続編の仮面ライダーV3では、デストロンの大幹部『ヨロイ元帥を演じることとなった。

また仮面ライダーアマゾンではアマゾン役の他、十面鬼の下半身にある“人面岩に埋め込まれた顔”も演じている。


2001年(平成13年)1月17日 逝去。享年55歳。



エピソード編集

「ブン」の愛称で親しまれ、剣技による立ち回りには内外から定評があり、殺陣の指導をする程の腕前だった。

普段は温厚かつ気立ての優しい人物だが、演劇に打ち込む姿勢はとても真摯で、仮面を着けた=素顔の見えない芝居であっても、中では必ず喜怒哀楽の表情を心がけたという。


また『仮面ライダー』の撮影が始まって間もない頃、当時ショッカー戦闘員を演じていた中村は、スタッフが撮影中に仮面ライダーのマスクを地べたに置いているのを見て激怒し、

「その面をなんだと思ってる!! そいつは主役の顔なんだぞ!!」と、スタッフを大声で怒鳴りつけているが、これは師匠の大野幸太郎が「主役の物(衣装など)には必ず付き添いがつき、それを丁重に扱わなくてはならない」という規律を遵守させているためである。

その出来事が殺陣師を担当していた高橋一俊の目にとまり、「次のライダーのスーツアクターをするきっかけになった」というエピソードが仮面ライダーをつくった男たちで描かれていた。


上記で述べた通り、剣技を評価されたこともあってか、変身ヒーロー時代劇として制作された変身忍者嵐で、主人公「嵐」のスーツアクターに抜擢されたが、通常の時代劇とは異なり、面の後頭部分が重く、またタイツスーツゆえ誤魔化しが利かず重心を低くした動作に常に気を使い苦労したという。


日本テレビから突撃!ヒューマン!!の主役を打診されたが、同番組は“仮面ライダーの裏番組”として売り込みを図ったこともあり「仲間達の出ている番組の敵にまわりたくない」と、このオファーを断っている。

(余談だが、その『突撃! ヒューマン!!』には昭和ライダーシリーズ数多くの怪人の声を担当していた中の人がレギュラー出演していた。)



関連項目編集

東映 東映特撮 仮面ライダー 仮面ライダーをつくった男たち

中屋敷哲也 大野剣友会メンバー。数多くのライダーやヒーローを演じた。

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