概要
1980年9月26日生まれ。
宜野湾高校で全国高校サッカー選手権に出場、卒業後川崎フロンターレに加入。
ルーキーイヤーの1999年にプロ初出場。翌2000年にはJ1優秀新人賞獲得。
2002年からレギュラーに定着、2003年には開幕から3戦連続ゴール、2004年にはJ2得点ランキング2位の活躍を見せた。
5シーズン振りのJ1の舞台となった2005年はゴール後の味方との衝突による怪我もあったものの26試合5得点。2006年はアルビレックス新潟との開幕戦でハットトリックを達成。次節京都サンガF.C.戦でも2得点を挙げ得点ランキングトップに立った。最終的には得点ランキング3位の結果を残した。
同年イビチャ・オシムに活躍を認められサッカー日本代表に選出。沖縄県出身者としては初の代表入りとなった。8月の国際親善試合トリニダード・トバゴ戦で代表初先発。9月のアジアカップ予選イエメン戦で途中出場し代表初ゴール。11月のアジアカップ予選サウジアラビア戦でもゴールを挙げた。
2007年は開幕から調子を上げるも、練習後にチームドクターから受けた点滴治療がJリーグからドーピングと判断され6試合の出場停止となった。(サンケイスポーツからはニンニク注射とでっち上げられる報道をされた。)
これを受け我那覇はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えを起こしCASは我那覇の訴えを認め、Jリーグに2万ドルのペナルティを命じた。
2008年、契約満了により川崎を退団、2009年にヴィッセル神戸に加入。しかし怪我の影響もあり出場機会には恵まれず2010年に退団。
神戸退団の同年、地元のFC琉球のオファーを受け加入。2014年、カマタマーレ讃岐へ完全移籍。4年振りのJリーグ復帰となった。2019年、契約満了により退団。
2020年、福井ユナイテッドFCに加入。2021年までプレーした。
2022年からジェイリースFCでプレー。2023年までプレーした。
2024年からは沖縄SVでプレー。