詳細は初瀬 (戦艦) -wikipediaを参照
戦歴
同型艦と同じくイギリスで竣工した。
1904(明治37)年2月の日露戦争開戦時には第一戦隊旗艦として参加した。
しかし同年5月15日、旅順港閉塞作戦に従事中、ロシア軍の機雷に2発触雷したことが原因で沈没してしまった。また初瀬が1発目を触雷した後に救助作業に従事していた戦艦「八島」も触雷し、同日夕方に沈没してしまった。
日本海軍はこの日だけで当時6隻しかなかった戦艦の内2隻を失うことになった。また同日午前1時40分には日清戦争の武勲艦であった防護巡洋艦「吉野」が装甲巡洋艦「春日」と衝突して沈没するという惨事が起きており、日本海軍にとって災厄の1日となってしまった。