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戦艦朝日

せんかんあさひ

大日本帝国海軍の前弩級戦艦で、敷島型の2番艦。 日中戦争から太平洋戦争時には工作艦として就役した。
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概要編集

敷島型戦艦の2番艦。 当時の他の日本海軍の主力艦と同じくイギリスに発注され、明治30(1897)年にジョン・ブラウン社で起工された。1898年、先だって建造され就役していた富士八島、テムズ鉄工造船所で建造中だった同型艦の敷島とともに一等戦艦に類別された。


明治33(1900)年7月に竣工、ただちに日本に回航される。日露戦争では第一戦隊の所属艦として黄海海戦日本海海戦に参加した。日露戦争後の戦艦の等級廃止に伴い類別は戦艦となる。


第一次世界大戦でもシベリア出兵時に第五戦隊旗艦としてウラジオストクの警備にあたったが、旧式化が著しくなったため大正10(1921)年に一等海防艦となり、第一線を退いた。さらにワシントン軍縮条約締結に伴い大正12(1923)年に練習特務艦となり兵装、装甲を撤去した。大正14(1925)年、当時事故が多発していた潜水艦の救難用の設備を備える改装を行った(艦種は練習特務艦のまま)。


昭和12(1937)年7月、日中戦争勃発により前線での艦船補修が必要となったため、朝日に工作機材を積み込む改装が1か月かけて施され、8月16日に工作艦へ艦種変更された。


太平洋戦争開戦と共に南方戦線に送られ、シンガポールを拠点に活躍したが、自身の修理のための内地回航中の昭和17(1942)年5月26日、アメリカ潜水艦「サーモン」の魚雷2本を受け沈没。42年の長い生涯に幕を閉じた。


遺品としては、昭和12年に寄贈したカッターボートが広島県の神社に現存している。


余談編集

竣工直後の「朝日」を、当時西洋滞在中であった秋山真之大尉と広瀬武夫大尉が見学している。


広瀬は帰国後に「朝日」水雷長を任じられ、日露戦争では第二次旅順閉塞作戦に従事して戦死。軍神として讃えられ、艦内には広瀬の記念室が残されていた。「朝日」撃沈時に乗組員の大半は救助されたが、艦内に保存されていた広瀬の遺品は全て失われた。


関連タグ編集

練習特務艦 大日本帝国海軍 前弩級戦艦 工作艦

朝日(無印)

同型艦編集

戦艦敷島 戦艦初瀬 戦艦三笠

朝日をモチーフとしたキャラクター編集

朝日(艦隊これくしょん):特務艦時代の姿をモチーフとしている。

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