概要
同型艦と同じくイギリスで竣工。竣工時の乗組員には、後に旅順港閉塞作戦に参加する広瀬武夫大尉が水雷長として乗艦していた。
日露戦争には第一戦隊の所属艦として黄海海戦・日本海海戦に参加した。
第一次世界大戦でもシベリア出兵時に第五戦隊旗艦としてウラジオストクの警備にあたったが、旧式化が著しくなったため大正10(1921)年に一等海防艦、大正12(1923)年に練習特務艦となり第一線を退いた。
大正14(1925)年、当時事故が多発していた潜水艦の救難用の設備を備える改装を行った(艦種は練習特務艦のまま)。
昭和12(1937)年7月、日中戦争勃発により前線での艦船補修が必要となったため、朝日に工作機材を積み込む改装が1か月かけて施され、8月16日に工作艦へ艦種変更された。
その後太平洋戦争開戦と共に南方戦線に送られたが、昭和17(1942)年5月26日にアメリカ潜水艦「サーモン」の魚雷2本を受け沈没。42年の長い生涯に幕を閉じた。
遺品としては、昭和12年に寄贈したカッターボートが広島県の神社に現存している。
関連タグ
練習特務艦 大日本帝国海軍 前弩級戦艦 工作艦
朝日(無印)
同型艦
朝日をモチーフとしたキャラクター
朝日(艦隊これくしょん):特務艦時代の姿をモチーフとしている。