概要
富士型戦艦(富士型)の1番艦。最高18インチ(457mm)の舷側装甲は後の大和型戦艦を上回り、日本海軍の歴代の戦艦で最厚である。
艦歴
海軍が1894年7月の日清戦争開戦直前にイギリスのテムズ鉄工造船所に発注し、1897年に竣工・日本に回航された。 当時の日本海軍には戦艦という艦種自体がまだなく、書類上の類別は「警備艦」だった。
1898年に新しい海軍軍艦及水雷艇類別標準の制定とともに、僚艦3隻(八島、朝日、敷島)とともに一等戦艦に類別され、1904年〜1905年の日露戦争では第一戦隊の主力艦として旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦と主要な作戦で活躍した。
弩級戦艦が登場した大正に入ると陳腐化し、1912年に一等海防艦に類別となった。1922年にはついに軍艦籍から除籍され、特務艦(運送艦)を経て練習艦になった。昭和に入ると横須賀に停留されて外海に出ることもなくなり、航空学校の浮き校舎などとして用いられた。1945年7月18日の横須賀空襲で大破着底、戦後に解体された。