概要
富士型戦艦とは、日本海軍の最初の戦艦。清国の戦艦定遠と鎮遠のために建造されたが、日清戦争には間に合わなかった。2隻ともイギリスで建造され、1897年に竣工した。日本海軍の軍艦で最高厚の装甲を持つ。その厚さは、最高457mm。
ネームシップである富士は、日露戦争において三笠とともに、第一艦隊第一戦隊に所属し大きな海戦で主力艦として活躍された。
姉妹艦の八島は日露戦争で沈没されたが、富士は太平洋戦争終結まで48年間海軍に在籍していた。
その後旧式化し、ワシントン海軍軍縮条約にて、装甲を撤去し特務艦(運送艦)、後に練習特務艦となった。太平洋戦争開戦前は、海軍航海学校の施設として使用されていたが終戦直前の空襲により炎上し着底、戦後に解体された。
尚、富士の名は海上自衛隊砕氷艦(2代目南極観測船)「ふじ」に、八島の名は海上保安庁みずほ型巡視船「やしま」に、それぞれ継承されている。
最高厚の装甲≠重装甲
「最高厚なら大和を上回る日本史上最防の戦艦では?」という意見があがるかもしれないが、実態は
日本「よし!現在の技術で最強の戦艦ができたぞ」
↓直後
アメリカ「最新技術の表面硬化装甲(ハーベイ鋼)を開発した!従来より薄い装甲で強力な防御力を発揮できる!以前より早くて硬い戦艦ができるぞ!」
日本「え?じゃあ急いで再設計した戦艦作らないと。でも時間がない!しょうがないから前の設計を使おう!重くなってもしょうがない!」
・・・という、泥縄的な理由で最高厚の装甲になったのである。
が、蒸気タービンすらない18世紀末の船である。
もしクソ真面目に全体にぶ厚い装甲を敷いたら重くてまともに動かない。
なので当時の戦艦の大半は
「喫水線付近以外の装甲を貼らない」
という方法で排水量を節約している。
具体的にいうと艦首・艦尾・中央上部の砲郭装甲。そして甲板。
というのもこの時代の戦闘艦は喫水線をぶち抜いて浸水させることを想定していたので、それ以外、例えば榴弾破片からの乗員や砲の防護はおざなりだったのである。
なので戦艦といいつつ、後続の敷島型やそれに並ぶ敵の戦艦相手にはまともに撃ちあえない準主力艦という扱いだったとされる。
ちなみに後続の敷島型はさらに最新のクルップ装甲を採用し、富士型よりも薄い装甲板、しかし防御範囲は富士型以前よりも広く硬くなっており、世界的にも当時最高レベルの防御力となっている。