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クニャージ・ポチョムキン・タヴリチェスキー

→ 詳細は「wikipedia:ポチョムキン=タヴリーチェスキー公_(戦艦)」へ

概要

「クニャージ・ポチョムキン・タヴリチェスキー」(Князь Потёмкин-Таврический)はロシア帝国海軍装甲艦、もしくは戦列艦、もしくは前弩級戦艦

同型艦は無い。

ロシア第一革命時の水兵の反乱を題材にしたソ連映画『戦艦ポチョムキン』で名を知られる。

エカチェリーナ2世の寵愛を受けたポチョムキン=タヴリチェスキー公爵に因んで命名された。

艦歴

装甲艦として、1898年10月10日起工。

1900年9月14日進水。

1905年5月20日竣工。

1905年6月14日に水兵による武装蜂起が発生し、ポチョムキンは乗っ取られ、赤色旗が掲げられた。

ニコライ2世が反乱鎮圧のため差し向けた艦隊でも水兵の反乱が起きた。

オデッサに戻ると町は補給を拒否し、黒海を彷徨うことになる。

6月24日、ポチョムキンの水兵はルーマニアコンスタツァ港に亡命者として上陸し、反乱は鎮圧された。

反乱でケチが付いたため、9月30日、艦名はパンテレイモンに変更された。

しかし、11月にセヴァストーポリの蜂起が発生し、パンテレイモンの水兵は蜂起側に就いた。

1907年9月27日、艦種が戦列艦となる。

1914年、第一次世界大戦が勃発。第2戦列艦戦隊に所属。

1915年4月28日、トルコの巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリムと交戦し、命中弾を与える。

1917年3月2日、ロシア二月革命。パンテレイモンではウクライナ人組織が結成された。

3月31日、艦名がポチョムキン=タヴリチェスキーに変更された。

4月28日、艦名がボレーツ・ザ・スヴォボードゥに変更された。

12月16日、赤軍の傘下に入る。

1918年3月3日、ロシアが同盟国側と単独講和。

ウクライナで反ボリシェヴィキ蜂起が発生し、4月29日、政変でウクライナ国が建国された。ボレーツ・ザ・スヴォボードゥは、ウクライナ国海軍に所属する。

11月24日、セヴァストーポリで英仏干渉軍によって拿捕された。

1919年4月22日、イギリス軍司令部の命令で爆破され、武装を撤去された。

4月29日、赤軍ウクライナ戦線に奪取され、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国赤色海軍に編入。

6月24日、反共義勇軍に奪取された。

1920年11月15日、赤色海軍に奪取される。しかし損傷が酷く、修理されなかった。

1925年11月21日、除籍。解体処分される。

性能諸元(1905年)

排水量1,2900t
全長113.2m
全幅22.2m
吃水8.4m
機関石油専焼水管缶14基、石炭専焼水管缶8基、直立型3段膨張式レシプロ蒸気機関2基2軸
最大出力1,0600hp
最大速力16.7kt
航続距離10kt/3,600浬
武装1895年式40口径305mm連装砲塔×2基、1892年式45口径152mm単装速射砲×16門、50口径75ミリ単装速射砲×16門、1873年式43.5口径47mm速射砲×20門、オチキス47ミリ単装砲×6門、オチキス23口径37ミリ単装砲×2門、パラノフスキー 20口径63.5mm単装速射砲×2門、7.62ミリ機銃×4挺、38.1cm水中魚雷発射管×5基
乗員731名(士官26名+水兵705名)

前級:ペレスヴェート級戦艦

次級:レトヴィザン

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