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概要
「クニャージ・ポチョムキン・タヴリチェスキー」(Князь Потёмкин-Таврический)はロシア帝国海軍の装甲艦、もしくは戦列艦、もしくは前弩級戦艦。
同型艦は無い。
ロシア第一革命時の水兵の反乱を題材にしたソ連映画『戦艦ポチョムキン』で名を知られる。
エカチェリーナ2世の寵愛を受けたポチョムキン=タヴリチェスキー公爵に因んで命名された。
艦歴
装甲艦として、1898年10月10日起工。
1900年9月14日進水。
1905年5月20日竣工。
1905年6月14日に水兵による武装蜂起が発生し、ポチョムキンは乗っ取られ、赤色旗が掲げられた。
ニコライ2世が反乱鎮圧のため差し向けた艦隊でも水兵の反乱が起きた。
6月24日、ポチョムキンの水兵はルーマニアのコンスタツァ港に亡命者として上陸し、反乱は鎮圧された。
反乱でケチが付いたため、9月30日、艦名はパンテレイモンに変更された。
しかし、11月にセヴァストーポリの蜂起が発生し、パンテレイモンの水兵は蜂起側に就いた。
1907年9月27日、艦種が戦列艦となる。
1914年、第一次世界大戦が勃発。第2戦列艦戦隊に所属。
1915年4月28日、トルコの巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリムと交戦し、命中弾を与える。
1917年3月2日、ロシア二月革命。パンテレイモンではウクライナ人組織が結成された。
3月31日、艦名がポチョムキン=タヴリチェスキーに変更された。
4月28日、艦名がボレーツ・ザ・スヴォボードゥに変更された。
12月16日、赤軍の傘下に入る。
1918年3月3日、ロシアが同盟国側と単独講和。
ウクライナで反ボリシェヴィキ蜂起が発生し、4月29日、政変でウクライナ国が建国された。ボレーツ・ザ・スヴォボードゥは、ウクライナ国海軍に所属する。
11月24日、セヴァストーポリで英仏干渉軍によって拿捕された。
1919年4月22日、イギリス軍司令部の命令で爆破され、武装を撤去された。
4月29日、赤軍ウクライナ戦線に奪取され、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国赤色海軍に編入。
6月24日、反共義勇軍に奪取された。
1920年11月15日、赤色海軍に奪取される。しかし損傷が酷く、修理されなかった。
1925年11月21日、除籍。解体処分される。
性能諸元(1905年)
排水量 | 1,2900t |
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全長 | 113.2m |
全幅 | 22.2m |
吃水 | 8.4m |
機関 | 石油専焼水管缶14基、石炭専焼水管缶8基、直立型3段膨張式レシプロ蒸気機関2基2軸 |
最大出力 | 1,0600hp |
最大速力 | 16.7kt |
航続距離 | 10kt/3,600浬 |
武装 | 1895年式40口径305mm連装砲塔×2基、1892年式45口径152mm単装速射砲×16門、50口径75ミリ単装速射砲×16門、1873年式43.5口径47mm速射砲×20門、オチキス47ミリ単装砲×6門、オチキス23口径37ミリ単装砲×2門、パラノフスキー 20口径63.5mm単装速射砲×2門、7.62ミリ機銃×4挺、38.1cm水中魚雷発射管×5基 |
乗員 | 731名(士官26名+水兵705名) |
前級:ペレスヴェート級戦艦
次級:レトヴィザン
外部リンク
wikipedia:ポチョムキン=タヴリーチェスキー公_(戦艦)