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概要編集

生没年:1951年7月11日-2020年9月19日(満69歳没)

愛知県名古屋市出身。面長が特徴で、しばしば「モアイ顔」と愛された。左利き。小学生時代のあだ名は「台湾バナナ」。


明治大学経営学部を卒業後、在学中に落語研究会で知己を得ていた三宅裕司らと共に劇団スーパー・エキセントリック・シアターの立ち上げメンバーとなり、同時に劇団名の名付け親ともなった。同劇団には以降、1979年まで在籍。

テレビドラマ初出演は『男たちの旅路』第4部の「車輪の一歩」(1979年)。『男たちの旅路』で共演した古尾谷雅人とは、翌年公開の映画『ヒポクラテスたち』でも再び共演しており、これをきっかけに同作でデビューした内藤剛志も含めて生涯にわたって交友が続いた。連続ドラマでの初レギュラーは『1年B組新八先生』(1980年)の美術教師・田中洋介役で、同じ桜中学シリーズの続編に当たる『2年B組仙八先生』にも同役で引き続き出演している。

善人から悪人まで、幅広い役柄を幅広いジャンルの作品で演じる名バイプレイヤーとして名を馳せ、中でも1994年に出演した『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』と『家なき子』の2作では、それぞれ迫真のいじめ役で注目された。一方で、前述したようないじめ役を演じるシーンを通して「こういうことは絶対にやってはいけない」と自身の子どもたちに教えるなど、私生活においては家族思いな父親でもあった。


バラエティ番組『SMAP×SMAP』には初期の頃から準レギュラー出演しており、コントや企画物でたびたび出演した。また2011年4月から2014年3月までは、NHKの小中学生向けバラエティ番組『大!天才てれびくん』内で放送されていたドラマに 大!天才てれびくんの世界観であるテレビ局・大天才テレビジョンの会長役として出演した。

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