日産ディーゼルが販売していた路線・自家用向け大型バス。後にスペースランナーRAの愛称が付与され、製造終了まで続いた。この記事では愛称が付与される前のU/UA系も扱う。
日産ディーゼルは自社内にバスボディ製造部門を持っていなかったため、指定メーカーとして富士重工業・西日本車体工業を指定していた。このようなこともあって、車種の見た目が大きく変化してもそれは車体メーカーのモデルチェンジであって、車種そのもののフルモデルチェンジとは言い難い。なので型式の変更はエンジン設置方法の変更、モデルチェンジにあわせた表記変更などが要因である。
U/UA(U/UA系)
1990年までサスペンションがリーフサスの場合はU、エアサスの場合はUAと表記していた。
U/UA20・30・35系
1973年発売開始。昭和48年排出ガス規制に伴い2サイクルUDエンジン搭載の4R系とリアエンジンバスPR系をモデルチェンジし登場。U/UA20系・30系の両方が同時にリリースされた。
1975年、エンジンの静粛性が高い予燃焼室式のPP6H型を搭載した35系が販売を開始。都市路線バス向けのため、リーフサスのみの設定だった。
U20系 | PD6H型エンジン(185馬力)を搭載したリーフサス車 |
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UA20系 | 上記のエアサス車 |
U30系 | PE6H型エンジン(220馬力)を搭載したリーフサス車 |
UA30系 | 上記のエアサス車 |
U35系 | PP6H型エンジン(195馬力)を搭載したリーフサス車 |
車体は指定メーカーの富士重工業製であれば13型を架装している。その多くは通称3Eと呼ばれる路線専用の13型Eボディーであるが、平行生産されていた一世代前のR13ボディー架装車も少なからずある。
また西日本を中心に見られた西日本車体工業製の車体を架装する事業者ではカマボコの愛称がある42MCを架装していたが、1978年以降は前面・後面のデザインなどを変更した53MCが架装されるようになった。
この他北村製作所製の車体を架装した例も新潟交通や函館市交通局などごく一部に存在する。
ホイールベースは20系・30系ともにH尺(4.67m)、L尺(5.2m)、N尺(5.6m)の3種類が用意され、N尺は北海道の路線バス事業者で多く導入された。
K-U/UA31・36系
1980年販売開始。昭和54年排出ガス規制に伴い、従来の20系・30系シリーズをマイナーチェンジ。機関直結冷房搭載を考慮してエンジンの出力アップが行われ、U30系に搭載していたPE6H型を230馬力に出力アップして搭載している。
35系はPP6H型エンジンのまま昭和54年規制適合されK-U36系となった。U35系同様エアサスの設定はない。1982年以降昭和57年排出ガス規制に適合しN-U36系となっている
K-U31系 | PE6H型エンジンを搭載したリーフサス車 |
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K-UA31系 | 上記のエアサス車 |
K-U36系 | U35系のマイナーチェンジ車 |
ホイールベースは先代の20系・30系から若干変更され、K尺(4.76m)、L尺(5.1m)、N尺(5.5m)の3種類が用意された。
車体は富士重工業であれば1981年まではR13系、1982年からはモノコックとスケルトンの中間的構造のR15系の15型E(5E)または15型B(5B)に移行。西工もモノコックの53MCを架装した例が殆どだが、1983年以降スケルトンボディの58MCを架装した例が少ないながら存在している。
P-U/UA32系
1984年に昭和58年排出ガス規制に伴い、P-U(A)32系となった。予燃焼室式エンジンは廃止となり、K-U(A)31系に用いていた直噴式のエンジンPE6H型を搭載。出力は230馬力とちょっとだけアップしている。なおホイールベースは先代と同じ。
1985年秋、騒音規制適合に合わせてマイナーチェンジを実施。外観では後部のエンジン開口部がなくなり、インパネのデザインも変更され、透過照明式メーターとシフトインジケーターを採用した。
車体は富士重は5E・5Bだがリベットボディーから、ゴムで板をつなげたパネルボディーに改良された。西工はすべて58MC。
P-U/UA33・50系
1988年、32系が33系へモデルチェンジ。エンジンは新型のPF6H型(235馬力)を搭載し、機械式オートマチックトランスミッションのE-MATICが設定された。ホイールベースはK尺(4.72m)、L尺(5.24m)、N尺(5.55m)の3種類を用意した。
50系は33系の高出力版で、エンジンはV8のRE8型(295馬力)を搭載し、サスペンションはエアサスのみ。ホイールベースはK尺の設定がなく、L尺、T尺のみだった。
車体は富士重は本格的なスケルトンボディとしたR17系ボディーの17型E(7E)または17型B(7B)を架装、西工は先代と同じ58MC。
なおUA50系は路線バスとして使われた例は極めて少なく、自家用や高速バスに使われるケースが多かった。車体は7Bが多く、ごく僅かに58MCを架装した例がある。
UA系
U-UA440系から型式の表記方法が変わり、UAのAは大型車を表すようになった。
サスペンション区別記号は型式末尾のアルファベット2桁目に移り、リーフサス車はS、エアサス仕様はAが付与される。
ノンステップ車はF・N・Gの3タイプが設定された。
U-UA440・510・520A系
1990年に平成元年排出ガス規制に伴いモデルチェンジされ、440系が誕生。ホイールベースは33系と同じだが、K尺の表記がH尺に変更された。ただしWB間の長さは変わらない。
1991年に都営バス向け超低床ワンステップ車が、1993年に京急型ワンステップバスが設定された。
V8エンジンを搭載した高出力車も同時にモデルチェンジが行われ、50系より出力をアップしたRE8型(310馬力)を搭載したU-UA510系、さらに高出力のRF8型(340馬力)を搭載したU-UA520系が登場。
ホイールベースは短尺の設定がなく、L尺とN尺、R尺とT尺の4種類の設定でサスペンションもエアサスのみ。
車体は富士重工は7E、7B、西工は58MCを架装。
KC-UA460・521A系
1995年に平成6年排出ガス規制に伴いモデルチェンジされ、KC-UA460系となる。エンジンは新型のPG6型(235馬力)を搭載するが、ホイールベースはやっぱり先代と同じ。
このKC-UA460系をベースに畜圧式ハイブリッドバスのERIP(エリップ)が誕生。床構造はツーステとワンステの両方が用意されたが、西工の手によって後にノンステップ車の標準となる前中ノンステップ車が生み出されている。
高出力車もモデルチェンジされ、再びKC-UA521A系の1種類に統合。先代と同じくエアサスのみの設定で、ホイールベースは従来のL尺(5.24m)とN尺(5.55m)以外に、特大サイズのR尺(6.0m)とT尺(6.5m)の4種類が設定された。
KC-UA460A系の車体は富士重工、西工製双方で架装されているが、UA521A系については富士重工製のみで西工架装例は存在しないと見られている。なお西工ボディは1996年に58MCから96MCへモデルチェンジしている。
CNG車
1995年にU-UA440系でCNG試作車を登場させ、それを元にUA460系をCNG対応させた車両が1996年に日本初の本格的CNGバスとして登場した。型式はNE-UA4E0系で、エンジンはU-UA系がPF6型、NE-UA系はPU6型を搭載する。出力は何れも230馬力。
ERIP
1995年に登場した地上設備の要らない畜圧式ハイブリッドバス。KC-UA460系に設定され、基本的な構造は三菱ふそうのMBECS、いすゞ自動車のCHASSEに準じている。
ハイブリッドシステムの主要機器はボルボグループのボルボ・エアロ製だが、当時日産ディーゼルとの間に資本関係はない。
思ったほど燃費が改善されない、軽量化できない、排出物の浄化効果も薄い、低床化できないなどのないない尽くしで、1999年製造打切。
KL-UA452A系
2000年に平成11年排出ガス規制に伴いモデルチェンジされた。エンジンは過給器付きのPF6H系を搭載し、高出力車もエンジン設定で対応し、標準出力車がPF6HTA型(240馬力)、高出力車はPF6HTB型(300馬力)となる。
ホイールベースは従来のモデルから変更され、K尺(4.8m)、M尺(5.3m)、P尺(5.8m)、T尺(6.5m)の4種類が用意された。ただしT尺はエアサス高出力車のみの設定。
車体は富士重工、西工双方が架装し、富士重は7E(7B)ボディは軽量化などの改良がされて新7E(新7B)ボディとなったが、バスボディ製造事業撤退により2003年までの生産となった。
ノンステップ車 Fタイプ
KC-UA460A系
1997年にUA460KAM改として誕生したフルフラットノンステップバス。ドイツZF社からトルコン、ドロップアクスルを輸入し製造。
ボディは富士重7Eのみの架装。
車体後部までノンステップ部分が存在し、燃費が悪い上に整備もしづらいトルコンATということもあり、車両を長く使う地方事業者でも廃車が発生している。
KL-UA272A系
2000年、平成11年排出ガス規制に対応に合わせマイナーチェンジされ、KL-UA272KAMとして発売。
エンジンがツーステップ・ワンステップと共通のPG6系から、中型トラックの増トン系などに採用されてきたMD92系のMD92TA型に変更され、エンジンの小型化により客室空間が広がった。
2003年まで製造。
ノンステップ車 Nタイプ
KL-UA272A系
2003年からスペースランナーRAの発売まで販売していたフルフラットノンステップバス。
富士重のバス製造撤退で、従来富士重のみの製造だったフルフラットノンステを、西日本車体工業に移管して誕生。
エンジンはFタイプが専用のMD92系を用いていたが、Nタイプはワンステップバスと同じPF6系リアアンダーフロアエンジンを縦置きにして横方向にオフセット、デフの位置をずらすことにより、リアオーバーハングの低床化を実現した。Fタイプに比べリアオーバーハング部分の座席が1列多く設定できるが、Fタイプに比べ座席位置は高い。
この構造は三菱ふそうのエアロスターノーステップに近いが、エンジンのオフセット位置がふそうの運転席側に対し、UA系のオフセット位置は逆のドア側になる。
2005年8月製造終了。
ノンステップ車 Gタイプ
KC-UA460A改系
西工が安価な大型ノンステップバスを独自に企画し、2000年から改造扱いで製造開始したノンステップバス。以後ノンステップバスのデファクトスタンダードとなるタイプである。
ワンステップバスをベースに、前中ドア間の床面高さを切り下げてノンステップ化し、中ドアから後ろは段上げすることでリアのエンジン周りをワンステップ車と共通化。これによってコスト削減とエンジン出力アップ、整備しやすく燃費向上も狙えるMT車の導入を可能にした。
KL-UA452A改系
2000年登場。2003年までは富士重ボディも架装していた。中型ロングを使用していた西日本鉄道北九州線電車代替バスの2代目車両として西鉄バス北九州も導入している。