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プロフィール編集


経歴編集

通称は「火の玉流」。


15歳で大山康晴十五世名人に入門、19歳でプロ入りし、10年後にA級八段に昇進。1966年に師匠である大山康晴王位と初タイトル戦を戦うが1勝4敗。


そしてその2年後の名人戦では師匠である大山名人と名人戦を戦った。おそらく将棋界でも空前絶後であろうこの師弟名人戦にて有吉は3勝2敗まで大山を追い詰めたが、2連敗で名人獲得はならず。大山との通算成績は大山の40勝29敗(なお、将棋界で師匠が弟子に勝ち越すのは珍しいケース)。


1972年棋聖戦で中原誠を破り初タイトル獲得も、すぐ米長邦雄に明け渡してしまう。それが結果的に最後のタイトル獲得となった。


だが衰えはなく、1984年には当時の記録であった20連勝を達成。1996年までA級にとどまり、師匠と同じく60代A級棋士となった。


それでもその後はさすがに苦しんだが降級点を取れば強制引退となる2006年C級2組順位戦で7勝3敗となり最年長勝ち越しに成功。次期でも負ければ引退の可能性のあった最終局を勝ち切り現役続行決定。


だが翌年の順位戦では降級点になってしまいさすがに引退……と思いきやNHK杯の予選を通過したせいで連盟が引退日についての規則を変更する羽目に。また棋王戦と竜王戦も残っており、結果的に引退決定後の10戦で6勝4敗した。


2022年9月27日、逝去。享年87歳。


関連タグ編集

将棋 棋士


大山康晴

内藤国雄 生涯のライバルとされている。なお通算成績は内藤の勝ち越し。

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