概要
日本の戦国時代(室町時代末期)において、甲斐武田家に仕えた戦国武将。
望月家は信濃国佐久郡の有名な武家であるが、盛時の出自はあまりハッキリしておらず、一説では当時の武田家当主である武田信玄の甥ともされている。
天文14年(1545年)に、信玄が望月家に使者として送った真田幸隆との会談により和平が成され、盛時は信玄から太刀と馬を贈られる。以降望月一族は武田家の配下となり、佐久郡の諸将も共に仕えることとなった。
信玄に迫る策謀の持ち主だったとも伝わっており、彼の片腕として活躍したとされるが、第四次川中島の戦いに参戦した際に上杉の武将である簗田外記と戦った際に槍に突かれ戦死した。享年58歳。
甲斐・信濃の巫女頭であり信玄に仕えていた甲賀忍のくノ一集団「歩き巫女」の頭領とも言われる望月千代女は、盛時の妻とされている。