概要
根室市の根室駅(国鉄の根室駅とは位置が異なる)から歯舞駅までの15.5kmを結んでいた。
日本最東端を走った鉄道であり、この記録は現在でも破られていない。
元々は歯舞で採れた海産物を輸送するために敷設された。
旅客輸送も行っており、地域住民の足としても活躍した。
そして何より、自社オリジナルの珍車の存在が知られている(後述)。
現在では「ネムタク」の略称で呼ばれることが多い。
歴史
1929年に開通。
最高速度は10km/h程度の低速で、全線を走破するのに60分ほども要した。
更に、簡易的な工法で敷設された軌道は非常に不安定かつ虚弱で、脱線が日常的に起っていたため、復旧のために時間が延びることも珍しくなかった。
また、復旧の際には乗客や沿線住民に手伝わせていたという。
それでも当初は沿線にまともな道路がなく、自動車も普及していない時代故、住民はネムタクに頼らざるを得なかったのである。
しかし、戦後に道路整備と自動車(バス・トラック含む)の普及が加速すると、ネムタクは存在意義を失い、1959年に廃止。
地域輸送はバスに転換し、現在では根室交通が受け持っている。
車両
初期には車番が1、2、5、6の4両の蒸気機関車を運用していた。
5は廃車後に後継機が充てられており、初代と二代目が存在する。
3と4がなぜ欠番だったのかは謎である。
気動車は1931年から3両が導入された。
いずれも2軸で一方行にしか進行できない「単端式気動車」と呼ばれるものである。
一両ごとに愛称を持っており、それぞれ「ちどり号」「かもめ号」「銀龍号」という名前であった。
銀龍号
現在までネムタクの代名詞として語られる伝説的な珍車である。
製造元は札幌市にある田井自動車工業という整備工場。
登場時は短い運転室の後ろに荷台が付いたトラックのようなスタイルであり、当時の軽便鉄道としては珍しいものではなかった。
銀龍号という名前は、この頃の塗装が銀色だったことに因む。
しかし、いざデビューすると重量バランスの悪さから頻繁に脱線する有様で、対策として運転室前方にボンネットを増設し、そこにエンジンを移設。
フロントを重くすることで脱線は収まったが、同時にスタイルが破綻し始め、ここから銀龍号の迷走が始まった。
1953年、道路整備が進みトラックが台頭したことから、銀龍号は旅客用に改造された。
改造内容は、地元の大工が作った木造の客室を強引に荷台部に接合するというもの。
この客室、元々あった運転室とは高さも幅も合っておらず、しかも組付け精度の悪さから、正面から見ると左寄りにずれていた。
メイン画像は、この頃の銀龍号の姿である。
その後、おでこに1灯付いていたヘッドライトをボンネットに移動の上で3灯に増設。
まるでカタツムリのような顔になり、更にスタイルの破綻が顕著になった。
同時に車体を水色に塗り替えたものの、「銀龍号」という名前は変えられなかった。
ネムタクの廃止により銀龍号も廃車となり現存しないが、雑な改造を重ねたことで生まれた衝撃的なスタイルは今なお鉄道ファンにより語り継がれている。
また、鉄道模型メーカーのワールド工芸が銀龍号を製品化しており、同社の看板商品の一つとして何度も再生産されている。
余談
- 多客時には貨車に旅客を乗せていた。当時は大らかな時代故に全国各地の軽便鉄道で同様の事例が存在しており、特に問題にはならなかった。
- 気動車は運行の翌年に認可をとっており、最初の一年は無認可であった。これも上記同様に当時は珍しくなく、行政処分などは受けなかった。朝倉軌道も参照。