兄弟国の秦に滅ぼされた。
歴史
紀元前822年、周の宣王が秦の秦仲を大夫として西戎を討伐させたが、秦仲は西戎との戦いで戦死した。
紀元前771年、周の幽王は驪山で犬戎に殺され、周(西周)は滅亡した。
紀元前770年、宜臼が平王として即位し、洛陽を王城に周(東周)を再興した。秦仲の功が認められ、その子の嬴康が秦の東の梁伯に封じられ、梁山(現在の陝西省渭南市)を王城に梁を建国。
紀元前654年、晋の献公暗殺の疑いをかけられた公子夷吾(後の恵公)は梁に亡命した。梁伯が公女の梁嬴を夷吾に嫁がせ、圉(後の懐公)が産まれた。
紀元前651年、晋の後継者争いに際し、秦の穆公は夷吾を晋に入れて恵公とした。
紀元前641年、梁は同姓の国である秦の穆公により滅亡させられた。