概要
CV:屋良有作
艦長⇒退官(前艦長)。階級は一等海佐。兵庫県西宮市出身。1948年5月20日生まれ。
「まあよかろう」が口癖という温和な性格で、部下からは「昼行灯」というあだ名がつけられている。ファンの間では口癖から「よかろう梅津」という通称もある。
建築会社に勤めている息子と学生の娘がいる。阪神タイガースの大ファン。
叩き上げであり、どんな戦闘でも自衛官として専守防衛を貫き、部下の生命を第一に指揮を執る。
当初は米倉薫の独断攻撃を中止させたり「大和」によるガダルカナル島攻撃を阻止したりと不殺を貫こうとしていた節もあるが、伊号第十九潜水艦や「ワスプ」をめぐる行動では部下と「みらい」を守るため最終的に攻撃を容認している。
アリューシャン戦で負傷した後は横須賀で療養し、のち草加の原爆阻止と、歴史改変阻止の為に如月中尉と共に南京に渡る。草加や石原・倉田の関わる原爆開発・製造計画に迫るも原爆工船ルイス・フロイスにて核燃料のウラン235を処分しようとした結果、これを阻止しようとした石原の配下に狙撃され、倉田の目の前で船内へと転落して死亡。なお、彼の唯一の遺品である眼鏡は、如月から桃井、麻生を経由して角松の元に届いた。
番外編「守るべきもの」では阪神・淡路大震災(1995年)時点で、阪神基地隊副司令(二等海佐)の任にあり、人命救助を速やかに取るべくシビリアンコントロール無視を承知で第22護衛隊所属の人員を陸上自衛隊第3特科連隊(現・第3特科隊)の指揮下に入れて救援活動をとったことで角松から反感を買うが、後にこの判断が(市民にとって)正しかった事が判り、和解する。