ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

毎熊晟矢

まいくませいや

長崎県出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダーだが、フォワードで起用されることもある。日本代表。

概要編集

1997年10月16日生まれ。

大分県生まれ。 両親が長崎生まれ、長崎育ちなので、長崎出身 。小学校1年に黒髪フットボールクラブジュニア(佐世保市)、小学校2年から6年はJFCレインボー長崎(長崎市)、中学校の3年間は大久保誠が主宰するFOOTBALL CLUB BRISTOL U15(諫早市)に所属した。東福岡高校(福岡市)へ進学し、3年生だった2015年、インターハイと選手権の高校二冠を達成した。


高校卒業後はプロからのオファーがなかった事と、関西に行ってみたい気持ちもあり、桃山学院大学に進学した。1年目は、先輩たちのビブスを洗ったり、試合ではビデオカメラを回したり、裏方の仕事もした。2年目から試合にでるようになり、フォワードとして活躍した。


2019年10月16日、2020年から地元クラブであるV・ファーレン長崎に加入することが発表された。


2020年2月23日、シーズン開幕戦の栃木SC戦で後半アディショナルタイムから途中出場しプロデビュー。月15日、J2第5節のFC琉球戦でプロ初ゴールを決めた。


在籍2年間で全公式戦で自身が得点した試合は無敗だった。監督の手倉森誠に右サイドバックで起用された。本人は、右サイドバックとしての手応えは、あまりなかったが、周りから褒めてもらうことが多く、自信につながった。


2021年12月23日、2022年からセレッソ大阪へ完全移籍することが発表された。大学時代にセレッソの紅白戦にも何度か呼ばれていたが、大卒時はセレッソからのオファーはなかった。


毎熊のポジションである右サイドバックは松田陸が絶対的な活躍をみせており、監督の小菊昭雄によって右サイドハーフで起用された。サイドハーフで起用されたことで攻守の幅が広がった。J1の5月MVPを受賞。12月9日、上門知樹、鈴木徳真と共に2025年までの複数年契約更新を掴み取った。


2023年、ジョルディ・クルークスが加入、クルークスが右サイドハーフ、毎熊が右サイドバックでセットで起用され、新たに先発に定着した。開幕前には「もっと数字にもこだわりたい、チームを勝たせられるような存在になりたい」と話していたが、リーグ戦では数字上は1得点2アシストと直接的に得点に関わることは少なかった。しかし、リーグカップ戦のガンバ大阪戦ではハーフウェイライン手前から独走してゴールを決めてフォワードとしての片鱗も見せた。サイドバックながら中央に移動するなど攻撃の組み立てで大きく貢献、守備でも貢献して対戦相手からは脅威となり、J1全チームの選手・監督の投票で選ばれるJ1優秀選手賞を受賞した。得票数は75票だった。描いていた目標とは異なったが、大きく飛躍した1年となり、日本代表に初選出され、継続的に選出された。また、ベストイレブンを受賞した、同賞の受賞はチームにとって6年振り10人目である。

日本代表

2023年8月31日、 9月にドイツとベルギーで行われる国際親善試合2試合の日本代表メンバーに初選出される。元日本代表で10番を着用して活躍した香川真司からは、「セレッソでやってるようにやれば絶対大丈夫」と言われた。


9月12日、ベルギーで行われたトルコ代表との親善試合にてスタメン出場し、A代表デビューした。


2024年、AFCアジアカップ2023に挑むメンバーに招集。決勝トーナメント1回戦のバーレーン戦では、約25mから振り出された強烈ミドルシュートがポストに直撃し、こぼれ球を堂安律が押し込み、得点の起点になった。


関連タグ編集

サッカー選手 V・ファーレン長崎 セレッソ大阪

サッカー日本代表

関連記事

親記事

サッカー選手 さっかーせんしゅ

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました