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治金丸

じがねまるまたはちがねまる

琉球国王尚家に伝来した三振りの宝剣の一つ。脇差。
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曖昧さ回避編集


概要編集

琉球国王尚家伝来の刀剣。

名称は「黒漆脇差拵(号 治金丸)」


現在は那覇市歴史博物館所蔵。


伝説編集

「治金丸宝刀ノ由来」という書によれば、宮古島の豪族仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみやぁ)が、大永2年(1522年)に尚真王へ、八重山諸島(あるいは先島諸島全域)平定の慶賀として献上したという。また、王は刀身に異変(錆か刃こぼれか)が見られたため阿波根実基(読みはあはごん。沖縄空手の始祖と言われている。)に命じて、この刀を京の研ぎ師に研がせたが、研ぎ師は偽物にすり替えて渡した。王妃は最初に預ける前にその刀身の特徴を写し取っており、これが偽物であることに気づき、それを指摘された王は奪還を命じた。実基は再び京都に戻り、3年の月日をかけてついに取り戻したという。これより実基は阿波根の性に“京”を付け京阿波根実基と呼ばれるようになった。 琉球の正史である『球陽』にも、治金丸の伝来について以下の記述がある。宮古島平良の北に、轟音と共に閃光が現れ、翌朝に仲宗根豊見親がその場所でこの宝剣を見出した。これを得て以来、禍にあうことなく、伝家の宝としたが、凡愚の所有するものではないと(1522年に)中山王に献上した。ところがその帰りに難破して多くの死傷者を出したという。

「忠導氏家譜」という古文書では、この年、既に王府に献上していた治金丸を借り受け、与那国島の首長・鬼虎(読みはうにとら、おにとらとも)を美女と酒宴で油断させて攻め寄せ、治金丸で鬼虎を切り捨てて島を征服した。そこで再び宝刀を返還したとする言い伝えもある。

掲げれば君真者(キンマモン)の神が出現したとの伝説も存在し別伝によればある民家で料理中につまみ食いをやめない子供を包丁を持ったまま叱ったところその子供の首が落ち、取り調べのためのによる実験を経て王に献上されたこの包丁が治金丸に打ち直されたとか、京阿波根の最期にもキンマモンが出現したという昔話もある。


関連タグ編集

日本刀 刀剣  脇差

琉球王国 沖縄県

千代金丸 北谷菜切


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