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概要編集

天文10年(1541年)、武田信玄の次男として誕生。母は信玄の正室・三条の方

同母兄弟姉妹に武田義信武田信之黄梅院見性院がいる(真理姫も同母妹説あり)。

異母兄弟姉妹に武田勝頼仁科盛信葛山信貞武田信清桃由童女菊姫松姫がいる(真理姫は異母妹説もある)。


弘治2年(1556年)に、疱瘡によって失明した。信玄は同年に願文を捧げ、息子の目が治癒する事を願う内容を記している。


海野幸義の娘と結婚し、海野家を継ぐ。しかし、盲目の為、出家し竜芳と号した。これにより、兄・義信の廃嫡後も嫡男にならなかった(信之は夭折、あるいは上総武田氏の養子となったため、信玄の嫡男は勝頼になった)。


天正10年3月11日(1582年4月3日)、異母弟・勝頼織田信長の侵攻により討死すると、その跡を追い自害したとも、信長の嫡男・織田信忠により殺害されたとも言われている。


家督は、子の武田信道が継いだ。


ちなみに現在、高家武田家は信親の義理の子孫である(途中で養子が入っており、血統上は柳沢吉保の男系子孫)。


関連タグ編集

武田家 高家武田家

武田信玄 三条夫人

海野幸義 武田信道

武田義信 武田信之 武田勝頼 仁科盛信 葛山信貞 武田信清

黄梅院 見性院 真理姫 桃由童女 菊姫 松姫

盲目

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武田信玄 たけだしんげん

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