概要
五井松平家の一族で始祖の忠定が三河国額田郡深溝城の城主大場主膳を討ち城主になったことから始まる、その後好景・伊忠・家忠も城主となり徳川家康に仕え家忠は家康の関東入国では武蔵国忍1万石の所領を得たが関ヶ原の戦い前の伏見城戦で戦死した、家忠の忠利は深溝藩主となり後に吉田藩主に転封、忠利の子忠房は刈谷藩に転封され福知山藩を経て肥前国島原藩に転封、忠祇の代に下野国宇都宮藩に転封されるが忠恕の代に再び島原藩に転封され明治維新を迎えた、華族令施行後に子爵に叙爵された。
島原藩最後の藩主となった松平忠和は徳川斉昭の十六男で徳川慶喜 徳川昭武の異母兄弟に当たる。
忠和は大正6年6月に没したが、兄・慶喜は4年前に亡くなっており、彼は斉昭の子女の中で一番遅く亡くなった人物ということになる。
外部リンク
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松平家忠−「家忠日記」で知られる。