渡嘉敷勝男
とかしきかつお
1960年7月27日生まれ、沖縄県コザ市(現・沖縄市)出身、兵庫県宝塚市育ち。
元WBA世界ライトフライ級王者。現役時代は協栄ボクシングジムに所属。
現役時代の代名詞は“ヤンバルクイナ”。タレント転向後は「トカちゃん」という愛称の方が知られている。
出生が沖縄県であるが、育った地が兵庫県だった為に「自分は本当に沖縄出身プロボクサーに入っていいんだろうか?」とあるパーティーの場で戸惑っていたが、具志堅用高ら沖縄出身プロボクサー達から受け入れられた事で戸惑いは無くなったという。
1977年1月、テレビでWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ具志堅用高対ハイメ・リオス(パナマ)を観たことがきっかけで具志堅用高を倒すためボクシングを始めようと思い立つが、その具志堅がいた協栄ジムに入門してしまう。
(入門後は具志堅や彼の対戦相手のスパーリングパートナーを積極的に務めた。)
1978年12月、プロデビュー。
1980年2月、全日本ライトフライ級新人王獲得。
1980年2月、世界初挑戦。金煥珍(韓国)を15回判定に降し、具志堅が9か月前に手放したWBA世界ライトフライ級王座を獲得。
その後ルペ・マデラ(メキシコ、2度)、伊波政春(日本)、金成南(韓国)、金煥珍相手に5度の防衛に成功するが、1983年7月10日、6度目の防衛戦でルペ・マデラに4回負傷判定(当時はTKOと記録された)で敗れ、王座から陥落した。10月23日にマデラと再戦するが、15回判定負けで王座返り咲きならず。
1984年8月18日、敵地でWBC世界ライトフライ級王者張正九(韓国)に挑戦するが、9回TKOに敗れ、この試合を最後に現役を引退。
引退後芸能界入りし、タレントとして活動し始める。「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(TBS)、「たけし・逸見の平成教育委員会」(フジテレビ)などにレギュラー出演。
現在は東京都中野区に「渡嘉敷ボクシングジム」を開設、後進の育成に力を入れるようになってきており、以前と比べると、タレントとしてのテレビ出演は減っている。