概要
牛島は熊本県熊本市で生まれたが、幼少期は剣道を志していた。しかし、長兄の影響で15歳の時に、柔道を習い始める。
牛島が入った当時の道場は、柔術に近いものであり、「審判なしで対戦相手が参ったを言う」か、「組み伏せた相手を短刀を模した木刀で首を掻っ切る動作をする」ことで勝負を決める
という戦場での殺人武術に近いものであり、これが牛島の柔道に対してのあり方を強烈に位置づけた。
牛島は後述する過酷なトレーニングを積み重ね、1925年から事実上の実質的な日本一決定戦である明治神宮競技大会を三連覇するといった頭角を伸ばしていく。
1929年の第1回天覧試合では決勝まで勝ち進むも、惜しくも判定負けとなる。
第2天覧試合で優勝する為に今までにない過酷なトレーニングを積み重ねていく。
1930年、31年の明治神宮競技大会を優勝し、名実ともに当時では最強の柔道家に上り詰める。
しかし、念願だった第2天覧試合は過酷なトレーニングが祟ってか、予選を勝ち上がるも敗北し
「負けることは死と同義」と取られた牛島は引退し、後進の育成にあたる。
木村政彦をはじめとする優れた柔道家を何人も育て上げることに成功し、戦後はGHQから柔道を守る為に尽力した。
1985年に亡くなる。享年81。
過酷なトレーニングの内容
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牛山辰馬…漫画ゴールデンカムイに登場する牛島辰熊をモデルにしたキャラクター。
「不敗の牛山」の異名を持つ天才柔道家の偉丈夫で、作中でも登場するたびに圧倒的な強さを見せている。