甑島
こしきしまれっとう
上甑島、中甑島、下甑島の有人島と周辺の複数の小さな無人島で構成される。
薩摩川内市の本土に隣接するいちき串木野市の沖合約45kmにあり、列島全体の長さは38km、幅は10kmである。
かつては上甑村、下甑村の二村で成り立ち、後に上甑村から里村が、下甑村から鹿島村が分離。平成16年(2004年)をもって揃って川内市他市町村と合併し、薩摩川内市の一部となった。
古くから外界と隔絶傾向にあり、特有の祭祀や民俗関連の遺産が豊富に残っているとされている。またリアス式海岸や天然砂嘴、砂州によって隔てられた天然湖沼など美しい自然が多く残されている。近年では観光業にも力を入れている。
捕鯨もかつては盛んで、ロシアやアジアではほとんど絶滅したとされてきたシロナガスクジラも捕獲対象であった。近年は、笠沙沿岸と同様、カツオクジラやイルカ等の回遊経路でもある。
第二次世界大戦末期頃まで、島内には野生犬(山犬)が現存した。甑山犬・甑犬などと呼ばれ、現生する薩摩犬の祖先でもある。
縄文犬の遺伝子を色濃く残し、野生化では弥生犬との交雑が進んでいない希少な種とされた。猟犬としても優れた実力を発揮した他、その生態特徴はニホンオオカミなどの狼にも類似していたとされる。現在でも山中にその子孫がいることが信じられており、ニホンオオカミなどと並んでその再発見に精を出す者が後を絶たない。
古代には琉球などとの交易地点の一つにもなったという。
現在、対岸の串木野から島へのフェリーが出ている。そのほか、薩摩川内市となったことから川内の港からも高速船が出るようになった。フェリーの所要時間は串木野からおよそ75分である。
串木野はかつて特急停車駅で港と駅も近く、新幹線のルートからは外れたが川内駅からは10kmも離れておらず、アクセスは比較的容易。一方で川内港には新たに川内駅からシャトルバスが発車するようになった。
島内交通も船舶によって補われることが多いが、一方で架橋により島々を結ぶ動きが加速している。上甑島と中甑島は既に接続されているが、下甑島とを繋ぐ橋は工期の遅れで完成は2020年まで伸びる予定。
上述のように隔絶され気味の離島であるがために特有の民俗風習が色濃く残っているとされ、古くから神秘的、あるいは畏怖の対象ともされてきた島々である。今日ではそれが様々な都市伝説の温床にもなっている。
例えば「クロ教」はいわゆる隠れキリシタン(潜伏キリシタン)の一種として島内に伝来したもので、島原の乱以降に信徒が甑島に移り住んだのが始まりとも言われている。
ところがこのクロ教は都市伝説の類ではもっとおどろおどろしい「クロ宗」に変化する。悪魔崇拝やら信徒の生き胆を食うやら、そのネタは完全にカルト宗教の類であるが、伝統的なクロ教とかけ離れたような内容も数多い。
こうした噂の発端は、禁教期のキリスト教の広がりを防ぐため薩摩藩が意図的に流したキリシタンのイメージ悪化作戦の一つとも考えられている。
こうしたイメージが原因で、離島特有の慣習や閉鎖性、多く残った他の地方には無い伝統なども含め都市伝説の類では「人食いのいる島」だとか「島の風習がヤバすぎて逃げ帰った」とかそんな話が出てくるのである。
現在は甑島列島でも観光に力を入れており、こうした風評被害への対策もその振興のためには重要となっている。
一方で、こうした風習やら上述の山犬の話など、自然・民俗両方でその神秘性や謎に惹かれて結果的に観光にやってくる者も多い。