概要
2000年にドラフト5位でヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。ルーキーイヤーからファームでレギュラーとして活躍するも一軍ではさっぱり打てず、いつしかネット上で二軍の帝王と呼ばれる羽目になり、ある界隈からは「恵体糞打」呼ばわりされる。守備の動きもチームのあるコーチから「動けるデブはおかわり、動けないデブは畠山、動けデブは村田」と酷評されていた。
それでも2008年にレギュラーへのきっかけをつかむと、2010年中盤からはレギュラーの座をがっちりキープ。二軍の帝王という不名誉な称号を返上すると、2011年にはタイトルをも狙えるほどのホームランバッターに成長した。同年には「12球団の中で一番年俸の低い4番打者」として密かに有名になった。
2012年シーズンオフには、ヤクルト元監督野村克也の提案により、トレードマークだったヒゲを全て剃り落し、すっきりした風貌で2013年シーズンを迎えたが、思うような結果が残せなかった。
2014年は途中離脱もあったがホームラン17本・79打点・打率.310をマーク。翌2015年には通算100本塁打含めホームラン26本・105打点・打率.268をマークし、打点王としてチームの優勝に貢献した。
一転して2016年以降は怪我や下半身のコンディション不良の影響で一軍の出場機会が減少。2019年シーズンをもって現役を引退。2020年シーズンからスワローズの二軍打撃コーチを務めたが、2024年のシーズン中に「一身上の都合」により退団した。一部週刊誌は退団理由について球界内外からの多額の借金の影響を指摘している。