概要
文字通り、白黒(モノクロ)でしか画面が映らない旧式のテレビのこと。現在ではカラーテレビがごく普通なので(というよりもう白黒テレビは作っていない)、それの対義語として用いられる。
アナログテレビ規格にある「NTSC」や「PAL」などはカラー信号の送り方であって、白黒テレビにはそれとは別の走査線/コマ数のみ影響する。
この頃のテレビは電源を入れてもすぐには画面は映らなかった。ぼや~っとしたように徐々に表示される為やや時間がかかるものだったのである。
信号の増幅・復調など一切を真空管で行っていたため、真空管が温まるまで機能しなかったせいである。しかも消費電力は今のテレビに比べて桁違いに多い代物であった。
これを改善しようと真空管のヒーターをあらかじめ温めておき、瞬間受像を目指したNECのインスタントビジョンがあった。(映像・音声の動作に必要なB電源を、ON-OFFすることで真空管の宿命を回避した。 のちに日立カラーテレビのポンパにつながった。)アナログのブラウン管式テレビでも後期の製品は20型くらい(そこそこ大きいクラス)でも100W台で収まっていたが、白黒の時代は数百ワットを当たり前に食いつぶした。
トランジスタやそれを集約したIC(集積回路)によって予熱の時間が不要になった上消費電力も激減したが、テレビ量産開始直後ではまだ真空管も製造コストや安定性という点で長所がありそちらが多用されていたのである。オイルショックのあと、消費電力の切り詰めは大いに進んだ。
白黒テレビの余生
居間の据え置きがカラーで行きわたると、お古の白黒テレビを自分用にゲットできた人もいた。両親がTV占有する時間とかぶってしまうTBSのザ・ベストテンや独立局のSONY MUSIC TVなどの学生向けの音楽番組がよく視聴された。この時期の音楽番組ではビデオが普及していないので、カセットでTV番組を外部の声に邪魔されず丸ごと録音するのにも向いていた。
当時は兄弟が多かったため、大きい子供部屋に追いやられた大形白黒で見ていた人もいる。
後の東映特撮プロデューサー白倉伸一郎は白黒で特撮を見ていたため、カラーで見たらケバくて驚いたという。
また、メーカーでもトランジスタラジオのように一人一台を目指して持ち運びが可能なポータブルTV売り込んできた。松下のレンジャー、ソニーのジャッカル、Mr.nello ビクターのラテカセなどである。しかし、間もなく14型のカラーテレビの安価販売、ビデオの普及でフェードアウトした。
わざわざこれの受信部までの部分をデジタル対応に改造するという好事家もわずかながら居る(勿論白黒の標準画質でしか映らない)。
関連タグ
外部リンク
真空管テレビ工房:ALWAYS 三丁目の夕日'64で使われた白黒テレビの復元修理を担当した