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概要編集

この現象は特に地上波テレビもしくはテレビ番組を、視たり聴いたりする習慣を持たなくなることを言う。この現象は日本だけでなく、アメリカ合衆国イングランドなど各国でみられる現象である。

原因は多々あり、どれか一つが決定的な要因となっているわけではない。言ってしまえば自然の成り行きである。


実態編集

テレビ番組を見ているのかどうかの指標が公的には視聴率しかないため、近年の視聴率の下がり具合から想像されるほどのテレビ離れは起きていないともいわれる。


視聴者が録画して後で見た場合や、動画配信サイトでの視聴は視聴率に反映されない。ヒロミは新春TV放談で「テレビ見なくなった」のでなく「テレビ見なくなった」と語っている。スマホのような携帯端末の台頭でテレビ自体を買わない層も増えており、逆に大手家電メーカーもテレビをスマホ感覚で操作出来るようネット接続に注力しており、リモコンのチャンネルボタンの覧にYOUTUBENetflixのような動画配信サイト用のボタンをもうけるなど、視聴者・家電メーカー共にテレビ番組からインターネットへの移行が進んでいる。


様々なメディアで調査された視聴者層の統計で見ると、どのメディアでも60代以降は依然圧倒的高視聴率を記録しているが50代になると減り始め、40代以下の世代では約半数がろくに見ていないレベルで激減している結果となっている。

さらに50代以下がこういった構図になったのはピーク時から徐々にテレビの視聴者が減っていった訳ではなく、2000年代まではまだそれなりに見られていたが、2010年代を境に急降下するようにテレビ離れが加速しているのが現状だったりする。


衰退の理由編集

ここではエンターテイメントとしてのテレビの衰退理由について記述する。テレビの問題点であってもテレビ離れの要因とは思われないものは記述しない。


娯楽の多様化編集

かつては”娯楽の王様”と呼ばれたテレビ番組であるが、現代の、とりわけ若年層の間ではもはやその座からは降りている。

若年層の多くは、インターネット・ビデオゲーム携帯ゲーム携帯コミックといった多数のコンテンツを選択して時間の大半を過ごすようになり、テレビの視聴時間が圧迫されている。

これに関しては上述のように見たい番組だけを録画して後で見ればいいのであるが、タップ一つで動くネット動画サイトに慣れた現代人にはリモコンを取ることすら苦行になっているのである。


また動画サイトであれば時間と場所を全く問わないのに対し、チャンネル数や番組が限られ、放送時間や視聴場所がどうしても決まってしまう地上波テレビは敬遠されている。


なお、国内のテレビ番組は自国のテレビでしかなかなか視聴できず、視聴者ファンもほぼ自国民で、それを他国から視聴することは余程特殊な手段を講じなければほぼ不可能である。


ところが、インターネット・スマートフォン・動画配信ならどんな国からでも好きな場所・時間に合わせてそれを視聴し、ファンを世界中から取り込むこともできるなど、「テレビ全盛期のときは映画やラジオは最早時代遅れというように、インターネット全盛期ならテレビもまた時代遅れな遺物」と呼ばれても仕方あるまい。


「地上波は無料放送なんだからネット同時配信すれば便利では?」とみんな思うのだが、系列地方局が存在する以上見捨てるわけにはいかず、さらに著作権・放映権関係も絡んで身動きが取れない状況にあった。しかし2010年代後半になると若年層においての劣勢が明らかとなっていき、公式がTverやYouTubeなどの動画サイトを用い、放送した番組を1〜2週間後限定で無料配信する、「見逃し配信」なる新たなシステムを導入するようになった。


視聴率調査の方法編集

かつては個人視聴率は調査されておらず、世帯視聴率しか調査されていなかった。このため視聴者層を知ることができず、具体的な視聴人数を把握することができなかった。そうなると人口の多い高齢者向けの番組を作ればおのずと高視聴率にになりやすくなる。逆に若者向けの番組は人気があっても低視聴率になってしまう。若者向けの番組を作らないということは将来の視聴者を獲得することができない。

また、録画した番組は視聴率の計測対象ではなかったため、録画してでも見たい番組よりも暇つぶし程度にしかならない番組のほうが高視聴率になってしまうというねじれ現象もあった。

ただしこれはテレビだけの問題点とは言えない。少子高齢化の現在ではどの分野でも若者向けより高齢者向けの商品を作ったほうが儲かることになる。

現在は個人視聴率の調査が開始され、世代別に合わせた番組作りも行われている。


魅力低下編集

コンテンツ自体の魅力が過去よりも落ちている」という意見もよく聞かれる。

経費削減・クレーム・放送コンプライアンスなどの理由により、ひな壇芸人らのトークやタレントの食べ歩き・バラエティ番組・情報番組・通販番組 とワイプなど似たり寄ったりな演出の番組ばかりとなり、更にゴールデンタイム及びプライムタイムも低予算拡大特番乱発でマトモに放送されなくなっていることから、「見飽きた」「無難」というものである。


出演している芸能人に対しても「どのテレビ局も同じ芸能人ばかり使っていて代り映えがなく、飽きてしまう」という批判も多い。テレビというコンテンツが長く続いてきた事で数十年にもわたりテレビに出続けている高齢の芸能人が本人のプライドの高さや事務所や周囲の「やめないで」という同調圧力、さらには長引く不況によってここで引退したら余生すら無事に過ごせるか分からない将来への不安など様々な原因で中々テレビ番組を降りたがらないのもその原因である。


また同様の原因でテレビ番組の制作スタッフ側にも時代の流れについていけないまま権力の座に居座っている人間が多いのも無視できない要素であり、インタビューで未だにテレビが娯楽の王様である事前提で抱負を語ったり、コンプライアンスの定義を履き違えていたり、テレビ以外の媒体で知名度が上がったものを小馬鹿にしたりといった利害関係者を喜ばせるだけのリップサービスにしかなっていない過去の栄光にしがみついた時代錯誤な言動や演出をしては若者やネット民を呆れさせますますテレビを敬遠させる悪循環を生んでしまっている。(ただしこの例はインターネットでも「インターネット老人」として同様に問題になっている)


若者向けの番組を作ろうにしても、結局は事務所やスポンサーの圧力やらが加わっていつも通り長年芸能界に居座ってきた40~50代以上の芸人ばかりが画面を占めて落胆を買ったりと完全に詰んでしまっている状態にある。

そのくせなまじCMのスポンサー含め莫大な広告費用の予算はあるため、大都市の巨大広告としてもそのまま人選の時代錯誤っぷりが掲載され、それが完全に世代交代失敗の縮図になってしまっている。


日本の場合は大手事務所への依存を分散させなかった点についても問題がある。

2020年代に表面化したジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)の性加害問題では、それまで同事務所のタレントばかりに依存しすぎた事が裏目に出た結果、他の国内の同ジャンルアーティストのテレビでの売り込みを怠ってきたツケが一気に回ってくる羽目になった。そして2023年の紅白歌合戦ではタレント全般を不採用とした代わりの枠埋めにK-POPバブルに湧く大韓民国からの歌手に頼らざるを得なくなってしまった。


ただし、どんなエンターテインメントでも時代が進めば新しいジャンルがどんどん開拓されていって、目新しいものを作るのが段々と難しくなってくる。これはテレビに限らずどのメディアにも言える。



貧しくなった編集

非常に世知辛い現代では全く想像もできぬ時代であったが、景気が常に右肩上がりで、規制も至っておおらかだった戦後昭和時代には、「自分の大好きな番組作りのためなら、視聴者の皆様に愛される番組作りのためなら、経費がいくらかかっても採算を度外視しても全く構わない」という太っ腹で夢がある発想を持った名プロデューサー・名経営者・名スポンサーが数多く存在し、最高な番組作りのためなら、金銭や労力も全く出し惜しみせず率先して協力してくれた時代もあった。

彼らが主導した番組作りは、後に伝説と呼ばれるに相応しい名番組や著名人を世に数多く生み出し、後述のドリフや刑事アクションドラマなどの番組視聴率も30%以上が常に当たり前なテレビ業界となり、「テレビ=夢がある世界」と視聴者は認識し、同時にテレビそのものにも憧れていた。


ところが、平成以降のバブル崩壊による不況と、映画業界の格下的な時代からテレビ業界を長年牽引してきた超大物な人たちが次々と引退・死去、かわって高学歴エリート集団に置き換わったことによる世代交代によって、「視聴率を少ない予算と労力で上げる」という、よく言えば知恵を使った省エネ思考、悪く言えばセコい発想による制作が主流となり、「視聴者のための番組作りではなく、自分たちが楽しむための番組作りでもなく、とりあえず数字が出る番組作りを最優先する」という夢も希望も全くないテレビ業界とへ成り下がってしまった。


といってもテレビ業界はしばらくバブルの余韻が長く残り、2000年代でも良い意味で時代錯誤なところがあった。無限大な夢の跡の何もない2000年代だが、前半まではテレビにおいてはいくらか国民的名作を生み出し、この時代のテレビが好きという声も根強い。だが結局半ば頃から現在のようなリストラ的スタイルへ移行し、リーマンショック東日本大震災がその息の根を止めてしまった。


特に肝心な場面で番組の流れをぶった切ってCM入りする山場CMの存在や、トーク番組の出演者が噛んだだけで流れをぶった切るイジりなどは元々テレビ全盛期からあった手法だが、予算節約には最有効なためか不況になるにつれてどんどん引き延ばしの時間も伸びているなど悪化の一途を辿っている有様で、これが益々視聴者の怒りや不快感を買いテレビ離れを助長させる原因の一つにもなっている。番組を作る側には合理的かつ有益でも、番組の進行にそういうのが一切ないネットでの動画配信や生放送に慣れてる層からすればただ「疲れる」だけなのである。


2010年代になると、肝心の番組のコンセプトもメーカー品や名店菓子のレビューなど、もはやYouTuberの企業案件として簡単に再現できるような、テレビ番組である必要のないものなどが目立つようになっている。


もはや金に糸目をかけず作りたいものを作ることができる世の中ではなく、それはテレビ業界だけではどうしようもない。実際に糸目をかけなかった円谷プロは倒産寸前になってしまった。

ただし、放送技術の進歩で昔は作れなかったような番組が作れたり、昔は高価だった機材が安価になったりするという点もある。


高度経済成長期やバブル期の時代でも面白いテレビ番組ばかりがあったのではなく、大量につくられたコンテンツの中から出てきた一部のキラーコンテンツが長く愛されたり、多くの人に愛されたりした結果、『面白いテレビ番組』として強烈な記憶に残っているのであり、駄作として消えていったテレビ番組も数多い。

アフターバブル世代は、生まれる時代が悪かったともいえるし、逆にネット配信で昔の名作に以前より気軽に触れることができるという点では良かったともいえる。



録画機器普及編集

本来、テレビ好きを増やすと思われた録画機器。ところがこれが大きな問題となった。CMを飛ばせるために、スポンサーにとってメリットが減ってしまったのである。しかも日本はVHS発祥国だけあってその普及は一足早かった。

現在はテレビに外付けHDDを取り付けるだけで簡単にテレビ番組を録画出来てしまえることもあり、「見たい番組は取り敢えず録画して好きな時間に見る」という視聴者層が更に増えた。

結果、視聴率というものがかなりあやふやな存在となってしまい、テレビ局側の予想する視聴者数と実際の視聴者数がかみ合わなくなっているのである。

その後テレビ業界は複雑なコピーガードを搭載させるようにしたのだが、何を今更と反感を買うことになった。


中途半端な自主規制強化編集

貧すれば鈍するといったように、景気の低迷によって人々は寛容さを失い、クレーマーが顕在化。視聴者からの「子供が真似をするからやめさせろ」「◯◯は不謹慎で配慮に欠けている」「卑猥だ」といった苦情、スポンサーからの広告引き上げ圧力、政治家や活動家からの介入、2ちゃんねらーやtwitterクラスタ等の過激派ネット住民のアンチ活動などに晒され、また業界もそれに抗わず、無難な内容に終始している番組ばかりとなった。


自主規制は不可逆的である傾向が強く、一度規制されるとそれが再び許されるようになることは珍しい。毎年の規制の積み重ねが作品の幅をじわりじわりと狭めていくのである。


今の何かにつけて批判されるSNS社会と、広告料稼ぎで成り立っているYouTuber業界を考えれば、より大規模なテレビでどうなっているのかは考えるまでもない。


まず最初はエログロ規制に始まり、徐々に規制範囲が拡大する。例えば1990年代から2000年代の全日帯テレビアニメを見ていくと、表現範囲が狭まっていくのが見て取れる。


小道具・衣装・舞台セットなどで予算が非常にかかり、さらに笑い(仕事)に対して、過激で妥協が全くないドリフのようなコント番組はレギュラー番組としては2000年初頭にその姿を完全に消した。


過激なアクション・殺人描写がある民放系時代劇のレギュラー番組や西部警察太陽にほえろあぶない刑事のような昔さながらなカーチェイス銃撃戦をメインとする過激でハードボイルドな刑事アクションドラマも2010年以降全く放送されなくなってしまった。


不況による経費削減対策のほかに、上記の「子供が真似をするからやめさせろ」といったPTA等からのクレームBPOからの放送コンプライアンスに抵触しているからである(ただし、地上波は時代劇のスペシャル版を年に一回のみ放送する以外は、BS・CS・ローカル局・時代劇専門チャンネルが再放送コンテンツを現在も放送している)。


その一方、社会不安の増大にあわせてメディアスクラムによるバッシングについては寛容化し、ワイドショーやニュースを通してその時期に炎上している人物や集団に対して、各社横並びでヘイトを煽ることが増加。

ワイドショーやニュースに出てくるご意見番はこのヘイト煽動に好意的な人物が選ばれる傾向が強く、さらに採用している大手事務所や中央省庁政府などの圧倒的権限に逆らえないからか「間違いなく発言内容が子供に悪影響を及ぼしているのに規制されない」事例が非常に多い。


また、特定思想のご意見番の他にも吉本興業ジャニーズ事務所といった有力事務所、オウム真理教統一教会といったカルトブラック企業などの問題については「報道しない自由」を行使し、特定の勢力だけに都合が良い空気の支配を拡大しており、ゼロ年代のネットで騒がれてきた「テレビは洗脳装置」というレッテル貼りがいよいよ冗談ではなくなってきている。

海外メディアが取り上げて騒動になった時のみ、メディアが自己保身のために突如豹変してバッシングするという傾向も出てきている。

また民族・国家を対象にしたものは企業などにくらべ訴訟リスクが低いため多用される傾向があり、ヘイトスピーチの拡大に一役買っている。


総じてこの自主規制の基準は中途半端かつ本末転倒と言わざるを得ない。


このように「エンタメ全般が変なところにまで規制が厳しくされたことでつまらなくなっているのに、視聴者から必要とされていないご意見番や有力事務所やワイドショーの悪影響は無視され続ける」ような事態が続けば、アブハチ取らずを招きさらなるテレビ離れを加速させてしまうのは当然のことである。


ただし、多くの目にとまるメディアで過激な内容を放送するわけにもいかないという点もある。国による規制を受けるの防ぐために自主規制機関を設けている。

もちろんインターネットに関しても、国の規制以上にプラットフォーム企業による私的な運営のため、朝令暮改で規制基準を簡単に変えられるのでこちらも安泰ではない。


芸能人のテレビ離れ編集

「視聴者のためのテレビ」から「テレビ局のためのテレビ」になっている現在のテレビに見切りを付け、芸能人が活動の場をYouTubeのような動画サイトに移してしまう流れが加速している。

番組制作費は少なくても、テレビと違って規制が少なく自由な制作が出来るという利点は何にも代えがたい魅力であり、とくにバラエティ番組の減少で活動の機会を失った芸人達はこぞってYouTuberデビューしており、これを機に世間で再評価された芸人も多い。


芸人のみならず歌手のテレビ離れも増えており、これまでは事務所の意向やPRでテレビに出ていたものの元々歌番組のノリが苦手な歌手は挙って動画サイトに公式チャンネルを作ってそちらに移行している者が増えており、これもまたテレビ離れを招く原因に一役買っている。


それこそスマホやハンディカム程度の機材でも簡単に番組を作れるという手軽さもあって、それまで番組を制作したことがない企業もこぞって参加しており、テレビ局の下請け制作会社も編集や撮影を任されるなど、芸能人に留まらずテレビ制作の人材までネット番組に移行する流れが生まれているのである。

これはテレビにとっては何よりも深刻な事態であり、このままいけばテレビ番組を担う芸能人と制作スタッフが先細りになるのは明白である。


アニメの悲劇編集

上記の事情に加え、少子高齢化により、全日帯アニメは次々と減らされ、ほぼ昔ながらな長期アニメ及び長寿アニメのみで占められ、本来起きるべき競争や新陳代謝が起きなくなった。代わりにあてがわれた深夜アニメも、本数肥大化→品質劣化→視聴者減少→本数減少→弱った業界に一攫千金目的のベンチャー企業参入→また本数増加・粗製乱造→肥大化と負のスパイラル&ループに陥っている(詳しくはアニメ化の記事を参照)。


また特に宮崎勤事件以降の20年程度にかけてオタク系コンテンツの扱いが極めて悪くなっていたため、オタク層ではテレビへの不信感が根強い。結果的に2010年代頃までお金をボンボン落とすはずの大きいお友達を黙殺するという結果になってしまった。


受信料編集

テレビを持っているだけで受信料を取られるため、若い世代ほど受信機自体を持たない人が増えている。

衛星受信料はマルチチャンネルによってテレビ復権の切り札になるはずだったBS・CSの普及を妨げ、インターネット配信への流出を招いている。頼みのワンセグも同様に搭載機種が減っている。


とどめに受信機を持たないAndroid搭載チューナーレステレビが発売され、そちらの需要も急増していることからもはやNHKは年寄り以外から受信料を取る理由作りが万策尽きてしまっている。

さらにBS・CSやケーブルテレビ衛星放送もチューナーレステレビ需要増加に便乗しろと言わんばかりにAndroidアプリでチャンネルを見られるサービスを開始している。そういう意味では市民はテレビよりもテレビ受信機を忌み嫌っているテレビ受信機離れと呼んだ方が正しいのかもしれない。


上述の理由から2021年の総務省の報告書にも「60-70代以上は死ぬまでテレビを見続け、(そもそも持ってすらいないので)40代以下からは受信料を取るのは不可能」とはっきりと書かれたレベルである。


インターネットニュースの充実化編集

2010年代以降、スポーツ新聞の無料Web版はテレビ番組の要約を伝える記事に注力している。一見テレビ番組の宣伝強化に見えるが、実際はこうした記事で十分内容を追えてしまうため、かえって逆効果となっている。事実、スポーツ新聞のWeb記事で実際に視聴したも同然なほど内容が十分把握できてしまうぐらいには、昨今のテレビ番組の内容は薄い。

海外の対策編集

このような事態に対し、世界各国においては、放送局の多局化やチャンネルの多チャンネル化によって、視聴者の多様化するテレビへのニーズに応えているという現状がある。


例えばイングランドの場合、地上波のデジタル化に合わせて『Freeview』という無料の地上デジタル放送が始まり、2015年時点で全国一律60チャンネル以上が視聴可能となっている。フランスにおいても同様のサービスが行われており、地上デジタル放送が無料の24チャンネルと有料の8チャンネルが利用可能となっている。


ドイツに至ってはなんと100チャンネル以上の放送が可能なケーブルテレビ衛星放送が普及しており、現在のドイツのケーブルテレビの加入率は43.6%、衛星放送の加入率は46.8%で、地上波デジタルだけ受信している世帯は圧倒的に少数派となっている。

アメリカ合衆国の場合は更に極端であり、ケーブルテレビの加入率は約70%、衛星放送の加入率は約30%であり、地上波デジタルだけをみている世帯は殆どいない。


アジア諸国もドイツ型の放送形態をとっていて、ケーブルテレビや衛星放送などの多チャンネル放送の普及率は台湾韓国は約80%、シンガポールは約70%、マレーシアは約60%とかなり高い。

日本の多チャンネル放送と言えば『スカパー!』が代表的だが、普及率は24%とかなり低く、日本のテレビ業界だけが世界から取り残されている状態にある。衛星放送ではただでさえNHK衛星受信料を取られるのにテレビにさらに出費はしたくないからである。


こうしたテレビ業界の構造の違いはニュース番組にも反映されており、世界のニュース報道は多チャンネル化によってより専門的・多様化する傾向にある。

欧米の専門チャンネルでは、各コメンテーターの政治的立ち位置が明確であり、それぞれのテーマに精通した専門家が出演し、素人は出演できなくなっている。200近くあるチャンネルからそれを選んで見る人は目が肥えた視聴者を前提としているため、素人同然のコメンテーターにコメントさせるような演出は行わないという。

ただし、政治報道においてはこれはこれで問題があり、政治的保守層は保守的な局、リベラル層はリベラルな局の番組しか見ないので、政治的意見の異なる層のコミュニケーションが断絶し、世論が二極分化するという現象が発生してしまっている。

もっとも日本でも多くの海外で禁止されているクロスオーナーシップを適用している関係上、マスコミの論調が時勢に応じてほぼ統一されているのもアレではある。


テレビの未来とは編集

はっきりと言って、これから先どのような対策をしようとも、テレビ離れを食い止める方法はない。

現在は辛うじて惰性でテレビをつけっぱなしにしてくれている高齢者のおかげで数字が取れているが、その世代さえも鬼籍に入れば本格的に収益の激減は進むものと思われる。


実際に出演しているコメンテーターですら、「テレビ番組にもう未来はない」と語る者がいる位である。

上記の要因にしても、「じゃあどうしたらいいのか」と聞かれて、すぐに答えを述べて解決に乗り出し成功する者などいないだろう。


これは特に金額で見ればわかりやすいが、2019年の段階で番組制作に必要な広告費はテレビ番組では1兆8千億円。ネット界隈では2兆1千億円と逆転しており、スポンサーとなる人間の多くは、ネット広告に比重を置くようになっている。

情報ソース

近年テレビ局の収入源は不動産投資に傾倒している状態にあり、すでに多くの在京テレビ局の放送局としての運営は副業と化しつつある。(特に不動産収入の比率が高いとされるのはTBSで、2019年にはテレビ朝日も不動産投資に成功し莫大な収入を得ている報道がされている。今後テレビ局は、放送事業を廃業して、本業を改めて経営する可能性もある


そもそも、テレビ離れと言う現象自体、最近起きた現象のように感じるが、実は歴史的に見て見ると、過去にたびたび同じような現象は起こっている


具体的には、テレビ以前にはラジオがメディアの中心だったが、テレビの登場によりラジオはマスメディアとしては大きく地位を低下させた。

ラジオ以前には映画が、映画以前には新聞がメディアの大きな地位を占めていたが、いずれもテクノロジーの発達によって登場した最新メディアによってメディアとしての地位を大きく下げていった。


しかし、だからと言って各種メディアが廃れたかと言うと、そうでもない。


ラジオの出現によって地位を追われた新聞は、ラジオ番組の時間割を載せることでラテ欄と言う形でラジオやテレビとの共存を図るようになった。

映画も、結局のところはスクリーンと言う特殊な空間で楽しむエンターテイメント性が未だに大きな独自性として認知されており、むしろテレビドラマやテレビアニメに芸術性を与える一種のステータスとして機能している。


今が駄目というよりは、戦後昭和~バブル景気というものが日本史、いや世界史クラスで特異な時代すぎた。そして幸福なことに、テレビは丁度その時代に重なったのである。もしこれが少しズレていたならば、高度経済成長にはのれなかったか、大本営発表に加担した暗い歴史を背負うことになった。

これからも、テレビ自体はなくなるわけではない。テレビが今後どのような夢を視聴者に見せるかは変わるのかもしれないが、テレビが視聴者に夢を見せること自体は変わらない。


恐らくはそれすらもできなくなった時が、本当のテレビ離れなのだろう。


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