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概要

この現象は特に地上波テレビもしくはテレビ番組を、視たり聴いたりする習慣を持たなくなることを言う。この現象は日本だけでなく、アメリカ合衆国イングランドなど各国でみられる現象である。

実態

テレビ番組を見ているのかどうかの指標が公的には視聴率しかないため、近年の視聴率の下がり具合から想像されるほどのテレビ離れは起きていないともいわれる。

視聴者が録画して後で見た場合や、動画配信サイトでの視聴は視聴率に反映されない。ヒロミは新春TV放談で「テレビ見なくなった」のでなく「テレビ見なくなった」と語っている。

衰退の理由

この現象の理由としてよく語られるのは娯楽の多様化」および「放送内容そのものの劣化」である。

娯楽の多様化

若年層の多くは、インターネット・携帯電話ビデオゲーム携帯ゲーム携帯コミックといったコンテンツを選択して時間の大半を過ごすようになり、テレビの視聴時間が圧迫されている。

また動画サイトであれば時間と場所を全く問わないのに対し、チャンネル数や番組が限られ、放送時間や視聴場所がどうしても決まってしまう地上波テレビは敬遠されている(これに関しては上述のように見たい番組だけを録画して後で見ればいいのであるが)。

なお、国内のテレビ番組は自国のテレビでしかなかなか視聴できず、視聴者ファンもほぼ自国民で、それを他国から視聴することは余程特殊な手段を講じなければほぼ不可能である。

ところが、インターネット・スマートフォン・動画配信ならどんな国からでも好きな場所・時間に合わせてそれを視聴し、ファンを世界中から取り込むこともできるなど、「テレビ全盛期のときは映画やラジオは最早時代遅れというように、インターネット全盛期ならテレビもまた時代遅れな遺物」と呼ばれても仕方あるまい。

最近では、公式がYouTubeなどの動画サイトを用い、放送した番組を1〜2週間後限定で無料配信する、「見逃し配信」なる新たなシステムを導入するケースも増えてきている。

番組内容そのものの劣化

コンテンツ自体の魅力が過去よりも落ちている」という意見もよく聞かれる。
民放で顕著であるが、番組制作予算の圧迫などの理由により、ひな壇芸人らのトークやタレントの食べ歩き・バラエティ番組・情報番組・通販番組など似たり寄ったりな番組ばかりとなり、更にゴールデンタイム及びプライムタイムの通販・番宣絡みな拡大特番乱発でマトモに放送されなくなっていることから、「見飽きた」「無難」というものである。

これには経費削減・クレーム・放送コンプライアンスによる足枷も大きく影響している。
非常に世知辛い現代では全く想像もできぬ時代であったが、景気が常に右肩上がりで、規制も至っておおらかだった戦後以降の昭和時代には、「自分の大好きな番組作りのためなら、視聴者の皆様に愛される番組作りのためなら、経費がいくらかかっても採算を度外視しても全く構わない」という太っ腹で夢がある発想を持った名プロデューサー・名経営者・名スポンサーが数多く存在し、最高な番組作りのためなら、金銭や労力も全く出し惜しみせず率先して協力してくれた時代もあった。

「経営の神様」松下幸之助氏や「特撮の神様」円谷英二氏は、まさにその筆頭格と呼ばれても決して過言ではなかった。
彼らが主導した番組作りは、後に伝説と呼ばれるに相応しい名番組や著名人を世に数多く生み出し、後述のドリフや刑事アクションドラマなどの番組視聴率も30%以上が常に当たり前なテレビ業界となり、「テレビ=夢がある世界」と視聴者は認識し、同時にテレビそのものにも憧れていた。

ところが、平成以降のバブル崩壊による不況と、経済界やテレビ業界を長年牽引してきた超大物人物たちが次々と死去したことによる世代交代によって、「視聴率を少ない予算と労力で上げる」という、よく言えば知恵を使った省エネ思考、悪く言えばチンケでセコい発想による制作が主流となり、「視聴者のための番組作りではなく、自分たちがただ稼ぎたいだけの番組作りを最優先する」という夢も希望も全くないテレビ業界とへ成り下がってしまった。

また、視聴者からの「子供が真似をするからやめさせろ」「◯◯は不謹慎で配慮に欠けている」といった苦情、スポンサーからの広告引き上げ圧力、政治家からの介入などに晒され、無難な内容に終始している番組も多い。
今の何かにつけて批判されるSNS社会と、広告料稼ぎで成り立っているYouTuber業界を考えれば、より大規模なテレビでどうなっているかは考えるまでもない。

例えば小道具・衣装・舞台セットなどで予算が非常にかかり、さらに笑い(仕事)に対して、過激で妥協が全くないドリフのようなコント番組2000年初頭で地上波から完全に消え失せた。

過激なアクション・殺人描写がある民放系時代劇のレギュラー番組や西部警察太陽にほえろあぶない刑事のような昔さながらなカーチェイス銃撃戦をメインとする過激でハードボイルドな刑事アクションドラマも2010年以降全く放送されなくなってしまった。
不況による経費削減対策のほかに、上記の「子供が真似をするからやめさせろ」といったPTAからのクレームBPOからの放送コンプライアンスに抵触しているからである(ただし、地上波は時代劇のスペシャル版を年に一回のみ放送する以外は、BS・CS・ローカル局・時代劇専門チャンネルが再放送コンテンツを現在も放送している)。

放送されるアニメも、ほぼ昔ながらな長期アニメ及び長寿アニメのみで占められ、本来起きるべき競争や新陳代謝が起きなくなり、代わりにあてがわれた深夜アニメも、本数肥大化→品質劣化→視聴者減少→本数減少→また本数増加・肥大化と負のスパイラル&ループに陥っている。
詳しくはアニメ化の記事を参照とするが、少子高齢化によりお金を持っている中年層を狙った懐かしネタ・リバイバル作品が増えた事も、マンネリ化に拍車がかかっている。

更に言うと出演している芸能人に対しても「どのテレビ局も同じ芸能人ばかり使っていて代り映えがなく、飽きてしまう」という批判も多い。

報道番組にもほぼ同じことが当てはまる。
現在の地上波テレビは、殺人事件から芸能報道、グルメや旅、あるいはスポーツや健康体操に至るまで、専門性の無い何でもかんでも盛り込んだ保険を掛ける番組作りが好まれている。
よって、どの局もタレント性のある素人ばかりを登用し、万人ウケする(悪く言えば中途半端な)番組作りに終始するようになる。

こうして、ニュース番組に出演するコメンテーターは色々な話題に無難にコメントするための反射神経ばかりが求められ、わかりにくい専門知識を語る専門家を「万人ウケしない」と邪魔立てし、むしろ専門知識が無い芸能人ばかりを「素人感覚で感情的なコメントの方が万人ウケする」と重用している。そんなコメントが、逆に視聴者の反感を買ってしまう事が多くなっているのである。

また新聞にも言える事だが、報道は総務省に支配されたNHKと、大手新聞社の系列会社である民放による寡占状態が続いているため、必然的に局の意向に沿った偏向報道ばかりになり、それに由来するマスゴミの急増加も影響している。

ただし、上記の指摘はあくまでもテレビの、もしくは資本主義の一側面であることには留意したい。
高度経済成長期やバブル期の時代にだって面白いテレビ番組ばかりがあったのではなく、大量につくられたコンテンツの中から出てきた一部のキラーコンテンツが長く愛されたり、多くの人に愛されたりした結果、『面白いテレビ番組』として強烈な記憶に残っているのであり、駄作として消えていったテレビ番組だって数多い。
実際に攻めの姿勢で番組作りに取り組んでも、それはそれで多くのクレームを視聴者から呼んでしまうのが昨今の状況と言えば状況である。クリエイターの失敗を簡単に責めることは出来ないが、「金に糸目をかけず作りたいものを作る」などと言って滑っている方がよほど問題……かもしれない。

実際、過去の面白いテレビ番組と言っても、バラエティー番組であれ、テレビドラマであれ、記録に残る大ヒットなどは数えるほどしかないし、そもそも過去の範疇が広い為、どうしても名作の数自体が多くなってしまう(具体的には、00年代以前の作品を全て過去作と数えたとしても、1953年から47年分のコンテンツがある)。

例えば上でも少し触れた特撮番組などは、昭和の時代において非常に多く製作されており、現在のマニアからは「あの時代に生まれたかった」という声も聞かれる。しかし数の多さとそれによる競争率の高さゆえか、「これまでの路線とは違ったものを作りたいという意志のもと送り出したものの人気が低迷し、無難かつ王道的な作風に変更したことで視聴率を回復したが結局打ち切り」というパターンの作品が尋常じゃなく多いのが実態である。ファンの間で語り草となっている隠れた良作、知る人ぞ知る傑作、不遇の名作が、リアルタイムで見ていた視聴者に聞くと普通につまらなかった、○○と比べてチープだった、××の方が遥かに面白かったという感想が飛び出すこともそこそこあったり。再評価されているとも言えるが。

極論を言えば、こうした「テレビ離れは面白いものを作らないのが全ての原因」「もっと制作陣が努力すれば変わる」と言ってる層には、言いたいだけの懐古主義者や、特定のテレビ局、タレントのアンチあるいはYouTuberの悪質なファンも多い。
ネットでも、放送当時は批判が飛び交っていた2000年代~2010年代初頭の番組が、近年大絶賛され「テレビが本当に面白かった時代」などと評されている光景がそれなりに見られる。誰しも昔見たものに思い入れがある(逆に嫌いなものは嫌い)のは当然であるし、実際に上記の要因によるテレビ離れは起きているのであるが、全ての批評家が色眼鏡を持たずにものを見る目を持っているわけではないのだろう。

視聴率調査の方法

かつては個人視聴率は調査されておらず、世帯視聴率しか調査されていなかった。このため視聴者層を知ることができず、具体的な視聴人数を把握することができなかった。そうなると人口の多い高齢者向けの番組を作ればおのずと高視聴率にになりやすくなる。逆に若者向けの番組は人気があっても低視聴率になってしまう。若者向けの番組を作らないということは将来の視聴者を獲得することができない。
しかし現在は個人視聴率の調査が開始され、このような問題はなくなってきている。

海外の対策

このような事態に対し、世界各国においては、放送局の多局化やチャンネルの多チャンネル化によって、視聴者の多様化するテレビへのニーズに答えているという現状がある。

例えばイングランドの場合、地上波のデジタル化に合わせて『Freeview』という無料の地上デジタル放送が始まり、2015年時点で全国一律60チャンネル以上が視聴可能となっている。フランスにおいても同様のサービスが行われており、地上デジタル放送が無料の24チャンネルと有料の8チャンネルが利用可能となっている。

ドイツに至ってはなんと100チャンネル以上の放送が可能なケーブルテレビ衛星放送が普及しており、現在のドイツのケーブルテレビの加入率は43.6%、衛星放送の加入率は46.8%で、地上波デジタルだけ受信している世帯は圧倒的に少数派となっている。
アメリカ合衆国の場合は更に極端であり、ケーブルテレビの加入率は約70%、衛星放送の加入率は約30%であり、地上波デジタルだけをみている世帯は殆どいない。

ちなみにアジア諸国もドイツ型の放送形態をとっていて、ケーブルテレビや衛星放送などの多チャンネル放送の普及率は台湾韓国は約80%、シンガポールは約70%、マレーシアですら約60%とかなり高い。
日本の多チャンネル放送と言えば『スカパー!』が代表的だが、普及率は24%とかなり低く、日本のテレビ業界だけが世界から取り残されている状態にある。

こうしたテレビ業界の構造の違いはニュース番組にも反映されており、世界のニュース報道は多チャンネル化によってより専門的・多様化する傾向にある。
欧米の専門チャンネルでは、各コメンテーターの政治的立ち位置が明確であり、それぞれのテーマに精通した専門家が出演し、素人は出演できなくなっている。200近くあるチャンネルからそれを選んで見る人は目が肥えた視聴者を前提としているため、素人同然のコメンテーターにコメントさせるような演出は行わないという。

ただし、政治報道においてはこれはこれで問題があり、政治的保守層は保守的な局の番組ばかりに傾倒し、リベラル層はリベラルな局の番組しか見ないので、政治的意見の異なる層のコミュニケイションが断絶し、世論が二極分化するという現象が発生してしまっている。

テレビの未来とは。

はっきりと言って、これから先どのような対策をしようとも、テレビ離れを食い止める方法はない。
実際に出演しているコメンテーターですら、「テレビ番組にもう未来はない」と語る者がいる位である。
上記の要因にしても、「じゃあどうしたらいいのか」と聞かれて、すぐに答えを述べて解決に乗り出し成功する者などいないだろう。

これは特に金額で見ればわかりやすいが、2019年の段階で番組制作に必要な広告費はテレビ番組では1兆8千億円。ネット界隈では2兆1千億円と逆転しており、スポンサーとなる人間の多くは、ネット広告に比重を置くようになっている。
情報ソース

そもそも、テレビ離れと言う現象自体、最近起きた現象のように感じるが、実は歴史的に見て見ると、過去にたびたび同じような現象は起こっている

具体的には、テレビ以前にはラジオがメディアの中心だったが、テレビの登場によりラジオはマスメディアとしては大きく地位を低下させた。
ラジオ以前には映画が、映画以前には新聞がメディアの大きな地位を占めていたが、いずれもテクノロジーの発達によって登場した最新メディアによってメディアとしての地位を大きく下げていった。

しかし、だからと言って各種メディアが廃れたかと言うと、そうでもない。

ラジオの出現によって地位を追われた新聞は、ラジオ番組の時間割を載せることでラテ欄と言う形でラジオやテレビとの共存を図るようになった。
映画も、結局のところはスクリーンと言う特殊な空間で楽しむエンターテイメント性が未だに大きな独自性として認知されており、むしろテレビドラマやテレビアニメに芸術性を与える一種のステータスとして機能している。

コンプライアンスの激化と資金問題、デジタル世代との過渡期にあるせいで衰退していくように見えるテレビだが、それはメディアの王様としての地位をどのように明け渡すかと言う交代期に入ったという事でしかない。
恐らくこれからも、テレビ自体はなくなるわけではない。テレビが今後どのような夢を視聴者に見せるかは変わるのかもしれないが、テレビが視聴者に夢を見せること自体は変わらない。

恐らくはそれすらもできなくなった時が、本当のテレビ離れなのだろう。

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