概要
報道機関が、国民が必要な情報を報道しないことを批判する用語。
「報道の自由」に引っ掛け、まるでマスメディアに都合悪い事実を隠蔽する自由があるかのように表現する皮肉である。
詳細
民主主義にとって自由な討論は必要不可欠なものであり、討論のためには争点の理解・共有、判断基準の提供、意思決定の補助として公正な情報が必要となる。
これを担保するために、自由主義国家では言論の自由の一部として知る権利――報道の自由が保障されている。
また、報道される事実の選定や伝達のトーン、解釈枠組みについても送り手側の意思が働く。当然だが、報道の背景には問題意識があり、問題意識は発信主体によって異なる(例えば、進歩派のメディアであればジェンダー問題に紙面を多く割いたり、保守派であれば安全保障問題について追及することが多くなるなど)。
報道は伝達メディアであると同時に言論機関でもあり、多様な観点が保証されてこそ初めて民主主義は成り立つのであり、もし何らかの事象についての見解が一意なものしか認められない場合は、独裁主義となってしまう。
情報の選定や報道姿勢についても報道の自由が保障する範疇である。
例えば、しんぶん赤旗は日本共産党の機関紙と報道媒体という二重の性質を持つため、オピニオンでは堂々たる党派性が表明される。NHKは公共放送であるため民法とは異なる独自基準がある。
ただし、放送機関については、その公共性の高さから放送法によって「公平」が義務付けられている。
メディアは常に何かについて選択的に語り、何かについては選択的に語らない機関である。
中でも、公衆が知るべき案件に対してメディアが作為的に報道を怠(っていると蓋然的に見做され)るケースがある。
その場合、一種の情報操作となり、批判や情報の欠如によって市民は様々な不利益を被ってしまう。
その様子が報道の自由を盾にメディアが権力者や特定のステークホルダーへの忖度や利益相反を行っているように見えることから、こうしたワーディングで批判される。
構造的要因
- 報道の自由が認められていても、民法の場合は報道機関自体が営利団体であるため、自らの不祥事やスポンサー・広告代理店に都合の悪い内容、さらには会社の方針にそぐわない事実など、報道することにより自らに不利益をこうむる記事などはその事実を知っていたとしても報道しないことが常態化している。日本のマスメディアはクロスオーナーシップによって新聞社が系列にテレビ局を保有しているため、大手メディア全般がメディアへの批判に及び腰となっている。
- 排他的で閉鎖的な記者クラブ制度によって行政機関と大手メディアが癒着・情報カルテル化することで政府・政権絡みの報道に公正さが失われている。
- 政府・政党による記者への金銭授受(実弾)や接待によってメディアが抱きこまれている。公金でありながら使途が不明な官房機密費が記者への買収に使用されていたことが、かつて自民党中枢にいた野中広務や平野貞夫等政治家たちによって暴露されている。記者に売春婦をあてがったり、会食を行うといった物質的接待も常態的に行われている。
- 公共放送の場合、スポンサーなどのしがらみはないはずだが人事のトップに政権に迎合的な人物を付けることによって批判的な報道を抑圧されている場合がある。
- 極右の政治家による政治介入や、街宣右翼団体による圧力によって企業が萎縮する(いわゆる菊タブー)。
- 有力芸能事務所が視聴率の取れるタレントを引き上げるとテレビ局を脅すことで報道を萎縮させる。
- テレビ局職員内部の精神的問題として、「公共性」意識が乏しく、活発な議論も行われず、自覚に欠けている。
事例
- 在日外国人(特に韓国・朝鮮人)が犯罪を犯した際、新聞やテレビ局によっては、通名のみが報道され、日本人による犯罪であるかのように報道する。
- 暇空茜氏が追及する仁藤夢乃氏によるColaboによる不正会計疑惑に端を発した一部NPO(いわゆる「ナニカグループ」)に対する公金の杜撰な補助(いわゆる公金チューチュースキーム)問題は、ネット上では連日大きく取り扱われているにもかかわらず、マスメディアでの扱いはほぼないに等しい
- ジャニー喜多川によるジャニーズ事務所所属タレントへの性加害行為に対して、状況を知っていながら大手メディアは長年にわたって黙殺してきた。そしてそのことに対して自己批判も行わない。
- 2018から2019年にかけて、ストライキの名目のもとに威力業務妨害や恐喝を常習的に繰り返していた関西生コンにガサ入れが入り、81名もの逮捕者を出す事態になったが、大手マスメディアでの報道はごくわずかのみであった。
- 芸能人が不祥事を起こすと、「容疑者」などの呼称ではなく「メンバー」などの芸能界における肩書で報じられる。
- 福島第一原子力発電所事故が発生し原子炉が爆発を起こした際、映像所有者の地方放送の福島中央テレビは重大性を鑑みて素早く報じたのに対し、日本テレビは映像がありながら報道を遅延させ、人命にかかわる情報を素早く提供しようとしなかった。
- 公害や薬害、原発の健康被害や安全性に関するドキュメンタリー(日本内外問わない)や核廃棄物の問題を扱う番組をスタッフが作ろうとすると、上層部が中止させる。
- 元日本テレビキャスター・ディレクターの水島宏明は、『Journalism』2012年7月号にて、福島第一原発事故のドキュメンタリーの企画会議で、番組制作の最高責任者から「日本テレビは読売グループだから、読売新聞の『社論』を逸脱しないようにしろ」と反論を許さぬ激しい口調で通達された、と表明した。企業としてはテレビ局と新聞社は別個の企業であり、編集の独自性を無視して、取材で新たな事実が判明する前から結論が決められるというのは極めて異様な事であり、得られた証拠や事実が役に立たなくなることから、報道の意味がなくなる。
- ASKAが薬物使用で逮捕された際、不倫相手で共に薬物を使用していた女性会社員が所属していた企業の親会社であり、事件との関係も俎上に上った人材派遣会社パソナ(社長・南部靖之/会長・竹中平蔵(当時))の名前が地上波で全く出なかった。時に、テレビではパソナの広告が流れていた。広告とは関係のない週刊誌は自由に報じていた。
- 中国漁船による日本領である尖閣諸島の海域の侵犯および海上保安庁の巡視船への襲撃事件(尖閣諸島中国漁船衝突事件)を、当時海上保安官であったsengoku38氏が映像の漏洩を行うまで認めず隠蔽しようとした。
- 政府批判デモ・審議中の重要法案に対する抗議デモなどが報じられない。
- 憲法の基本原理や市民への影響が大きい重要法案の委員会や本会議などの国会中継を流さなかったり中途半端に打ち切る。
- 大手広告代理店電通の体質やオリンピックなどへの影響力の大きさが、大手メディアによって分析・批評されない。
- 消費税増税や財政再建について、大手メディアがそろって協調し財務省の立場に立ち、反対的立場を取り上げることに消極的になる緊縮財政の立場を取る。五大紙(朝日、読売、毎日、産経、日経)はいずれも社説で逆進性を高め自己負担率を引き上げる消費税増税に賛成の論陣を張った。
- 発言の切り取り、文脈の無視などによって事実とは全く異なった印象を作り上げる。
- 報道局の身内が犯罪や不祥事を犯すと、追求が甘くなる。
- 警察官が犯罪を犯すと実名報道されないパターンがある。
- 被差別部落関係者による不法行為に対して、報道機関が及び腰になる。
- ロシアや中国などの権威主義国家において、報道が政府に支配され、反体制的な批評が行えなくなる。
「報道しない自由」といっても、全く語らないケースというばかりではなく、報道が散発的になるケース、フォローアップがなくなるケース、矮小化するケースなど様態は多様である。
帰結
「情報が存在しないこと」「争点の共有がないこと」は市民の根本的利益を損なう。
重要法案の内容をしっかり説明・批判しなければ国民は自分たちの利害を理解できず、可決されて後戻りできなくなった段階で説明されても手遅れになる。
選挙前に投票判断に繋がる情報を自己検閲すれば、判断基準がなくなり、投票率は低下し、不法行為を行った低質な代議士が再当選する可能性があり、新人が勝ちにくく現職有利の不公平選挙になり、有権者の利益を深く損なう。
原発事故などの緊急性の高い案件についての報道を遅らせれば、非難が遅れるなどして人命に大きくかかわる。
社会格差の現状と、格差を作り出した政治・経済の責任を問わなければ格差が拡大し続けるばかりである。
情報不在の極致と言える事例を挙げる。アメリカ合衆国カリフォルニア州にベルという小さな自治体がある。リンク
この町では、1998年に地元紙がなくなり、地方政治を誰も監視しなくなった。
市の行政官は監視がないのをいいことに自らの年間給与を十数年かけて500万円から6400万円まで引き上げた。市議会もそれを追認し、それ以外の公務員もお手盛りで給与を増やしていた。
そして、住民はそのことを知らなかった。十数年間、市議会にも市議選にも新聞記者がひとりも行かなかったからである。これにより、本来地方のインフラや教育や医療に使われるべきだった数十億円の血税が損なわれてしまった。
詳細はベルの行政スキャンダルの記事を参照。
これはそもそも報道機関すら存在しなくなった事例であるが、原理的には監視の欠如によって同様の事態は起こりうる。
報道機関の自己検閲やボイコットは権力犯罪や経済犯罪による不公正を助長・幇助する行為である。
評論
元朝日新聞記者のジャーナリストである烏賀陽弘道は、
- 「何を書いているか」と同様に「何を書いていないか」に着目すべき。
- ウソではないが本当でもない記事がある。
- メディアは「わからない」と言いたがらない。
- 匿名発信者はモラルが下がる環境にいる。
- 引用の正確さで、発信者が事実の正確さにどの程度注意を払っているかがわかる。
という趣旨のことを述べている。
10年以上に渡りかつては知的番組の代表選手だった報道ステーションでキャスターを務めた古舘伊知郎は、『AERA』2015年7月14日号にて、「テレビは嘘しか伝えていない」ともとれる発言を行っている。
陰謀論・ネットスラング
「メディアの不十分な報道」への批判は左右問わず市民・知識層によって行われることであるが、特に「報道しない自由」という成句がネット上で用いられる場合、マスゴミという言葉の使用者が主にそうであるのと同じように、ネット右翼コミュニティによる固有の文脈によって使用されることが多い。
ネトウヨ言説によって作り出された世界観の中ではマスメディアは「反日」であり、多くは「在日」や「左翼」「共産主義者」などに乗っ取られていて日本の破壊をもくろんでいるという設定が何らの根拠なく固く信じ込まれており、ネット右翼のネットユーザーは殆どがアンチ・大手マスコミを標榜している。
こうした文脈の下で、ネット右翼たちは前述の報道機関ごとのスタンスや内部基準、社会の常識的価値観があるのを全く無視した上で「マスコミは日夜偏向報道を行っている」「在日特権によって在日は報道から守られている」「安倍総理の政策が報じられていない」などと主張している。
ネット右翼的な価値観に沿う大手の報道が存在しないのは、取材による裏付けを取ればそんなことがそもそも存在しないからであり、価値観以前に腐っても公器である以上メディアが積極的に陰謀論を報ずるわけにはいかないからである。また、ネット右翼が重視する内容がそもそも公共の利益にならない枝葉の内容に過ぎないので扱いが少なかったり、報道自体はされているのに批判者が知らない、権力監視を行っていること自体を偏向と認識して倒錯した批判を行っているといったパターンもある。
元々ネット右翼論壇のど真ん中にいて後にそこから遠ざかったという経歴のある評論家の古谷経衡はネット右翼の論壇を「陰謀論とトンデモまみれ」と述べている。
報道しない自由が行使されている、と思う前に
ネット上の匿名の発言を信じる前に、一次情報源である新聞を読み、テレビを見よう。メディアを見ると、マスコミが報じないことが色々と載っているぞ。