概要
自主規制とは、商品の価格や性能、表現などについて、過剰になりすぎないよう自重することである。創作者や開発者の個人的な良心のみに任せられるのではなく、業界や企業で一定の基準や目安(ガイドライン)が設けられる。不文律の場合は紳士協定(暗黙の了解)などと呼ばれることがある。
性能や価格の自主規制が設けられるのは、安全性を確保するためや、環境に悪影響を及ぼすのを避けるため、もしくは際限のない競争によって採算割れを強いられて共倒れになるのを避けるためである。ただし、この行為を価格面などで表立って行うと法律で禁止された談合やカルテルに当たる可能性がある。例としては自動車や二輪車の出力規制、缶ジュースの自販機における価格などがある。
一般論として、表現は過激であれば過激であるほど反応が大きい。しかし、それがあまりにもエスカレートすると、「不快な表現」として他者の反感を買う危険もそれだけ大きくなる。デマゴーグや過激派が扇動をやりたいがために自主規制に反対するということがあり、まっとうな自主規制反対論が巻き添えを受けやすい(実例が複数存在するがこの件に関しては自重させていただきます)。
コンシューマーゲームでは性的描写と合わせて自主規制の対象となり、CEROによる段階的な規制が設けられている。
pixivでの自主規制
これはR-18、あるいはそれに類する作品の場合は以下の行為を行うことがある。
- マンガビューア機能などを用いてクッションを入れる
- 性的な表現に対し差分を用意し、閲覧のクッションとする
- ある意味R-18?や非R18といわれるようなR-18の設定を行う
- 見えない構図、見せない構図、見せないエロスなどを駆使することやスクロールバーなど定評のあるもの一覧を駆使する
- アカウントの使い分け、具体的にはR-18投稿専用のアカウントを作成する(使い分け目的の複数アカウントは規約違反ではない)。
などの対策がとることが可能である。
なお以下に関しては利用規約等で定められているため守らなければならないことである。
など。
関連キャラクター(修正の素材に使われる)
テレビ放送での自主規制
20世紀の地上波テレビでは胸がはだけたり怪人の腕がぶっ飛ぶぐらいは日常茶飯事だったが、21世紀に入るとそうしたシーンはすべて深夜・衛星放送に追いやられた。作り手側もエログロ抜きの無難な方向に流れており、過激な表現が避けられるようになったことがテレビ離れの一因と言われたりする。
2000年代でも平成一期仮面ライダーやガンダムSEEDなど、今からするとかなり過激な表現をする作品群もあった。しかしそれも2007年の京田辺警察官殺害事件を巡る過剰反応(Niceboat.事件)等によって壊滅。仮面ライダーでも平成二期では鼻血が限界という状況が続いている。
ただ現在でも局により規制の度合いは異なり、深夜でも謎の光をかけるか否かは対応が分かれる。2020年には鬼滅の刃が自主規制破りをして議論になった。
最近は(同時期の他作品では普通に放送されているレベルを含む)サービスシーンをカット、差し替えを行い、本来のシーンを見たければ光ディスクの購入が必要になる、ある種の完全版商法のような規制も存在する。
また、作家・ドキュメンタリー映画監督の森達也が「現在TV局の自主規制で放送出来ない歌謡曲」についての書籍を執筆した際、「一体、TV局において『何をどう自主規制するか?』はどうやって決り、その詳細は何かの形で文書化・マニュアル化されているのか?」を散々調べて、判った事は……何と、TV局の現場の番組製作者は、その辺りの詳細について全然知らず、「前々からこうだったから何となく自主規制している」というものが余りに多い、という驚愕の事実だった。要は、明文化もされておらず、OKとNGの境界も曖昧な単なる前例踏襲という理由のない自主規制な分、余計に始末が悪い訳である。
実際、2007年まで放映されていたとある刑事ドラマでは自主規制で乳首の描写を削るのが一般的になって以降も乳首丸出しのお色気シーンが深夜帯に追いやられることもなく放映されていた。
自主規制による停滞の実例
- 自動車の280馬力自主規制による国産スポーツカー減少(運輸省の行政指導による自主規制)
- 鉄道での600m規制(現在は省令が設けられており自主規制ではない)による在来線最高速度頭打ち
コミックス・コードについて
- コミックス・コード(2011年廃止)により、大手パブリッシャーのアメコミはスーパーヒーローものばかりに……という俗説があるが、これは非常に単純化された話であり、実際にはコミックス倫理規定委員会設立とほぼ同時並行で、一度、アメリカにおけるスーパーヒーローコミックのブームは終っており、スーパーヒーローコミックの再ブームの到来からしばらく後に、アメコミ出版社とコミックス倫理規定委員会の確執が始まっている。この辺りの歴史は非常に複雑怪奇なので、詳しい事を知りたい方は、本項やWikipediaの内容やネット上の俗説を鵜呑みにするのではなく、自分で専門書などを調べた方が良い。
- 実際にはアメコミ出版社大手2社であるMARVELコミックやDCコミックは、度々、コミックス倫理規定委員会とトラブルを起こしており、1970年代初頭には早くも最初の「規制緩和」が行なわれ、この後、コミックス・コードは有名無実化の道を辿る。
- 例えば、1950年代には「黒人が主人公」という理由でコミックス・コード不適格とされた作品が有ったが、1970年代初頭には黒人主人公のシリーズが出版されるようになっていった。
- ちなみに、MARVELコミックの名悪役であるスクラル人の初登場のエピソードは1960年代初め(当然、コミックス・コードは有ったどころか一番厳しい頃)だが、このエピソードのオチは「主人公側の策略で牛に変身してしまったスクラル達が催眠術で自分達は本物の牛だと思い込まされ、食肉にされて人間に食べられる」というもの。化物が人間食ったり、人間が人間を食うのはNGでも、人間が宇宙人を食うのはOKなのか?? コミックス倫理規定委員会仕事しろ!!!!
- なお、「コミックス倫理規定委員会」は日本で云うなら映倫のようなものであり、日本では映倫の審査を受けていない映画を劇場で一般公開する事も難しいが不可能ではないように、コミックス倫理規定委員会の審査を受けていないコミックを流通させる手段はいくらでも有り、既に1950年代には、そのようなコミックが出版されていた。
- ただし、アメリカにおけるアメコミの流通・販売の形態は(日本の出版物の流通・販売の常識からすれば)かなり独特かつ特殊であり、大手2社がコミックス倫理規定委員会の審査を受けていた時代には、コミックス倫理規定委員会を受けていないインディーズ系・アンダーグランド系のコミックと大手のコミックは、そもそも流通経路や置いている店舗からして違っていた。
- 更に1980年代になると、大手アメコミ出版社の作品でも「コミックス・コード」はギャグの対象とされるようになっていった。(例:何で、この女性ヒーローの服は破れないんだ?→裏地に「コミックス倫理規定委員会認定」のマークが)
- 映画「スパイダーマン:スパイダーバース」シリーズでは冒頭に「コミックス倫理規定委員会認定」が出るが、もちろん、これはギャグであり、本シリーズはコミックス・コードの規定が最も厳しかった頃の基準では主人公が非白人という時点で完全にアウトである。
- また、アンチ・ポリコレ的な主張の中には逆にコミックス・コードと親和性が高いものが有り(例えば「安易に人種的マイノリティやLGBTQのキャラや男に依存しない女性キャラを主人公にする事はいかがなものか?」など)、アメリカのみならず日本などのアメリカの文化の影響を大きく受けた国・地域の消費者も、知らず知らずの内に未だにコミックス・コードの「当り前」を「当り前」と思ってしまっている可能性が有る。
- 実際にはアメコミ出版社大手2社であるMARVELコミックやDCコミックは、度々、コミックス倫理規定委員会とトラブルを起こしており、1970年代初頭には早くも最初の「規制緩和」が行なわれ、この後、コミックス・コードは有名無実化の道を辿る。
- アメリカ映画における自主規制基準であるヘイズ・コードが策定される以前のアメリカ映画では「白人とアフリカ系の女性がルームシェアをしていて、しかも同性愛的な雰囲気が匂わされる」「男性同士が戦場でキスをする」「1980年代より女性監督の比率が多く女性スタントマンも多数居た」など、もし現代で作られた場合、ポリコレ批判派からすると「過剰なポリコレ配慮」に思えてしまうであろう作品も多数作られていた。現代における「過剰なポリコレ配慮」をしたアメリカ映画の多発は、ある意味で「ヘイズ・コードにより強制的に消されたタイプの作品が、現代になって甦りつつある」過程とも言える。
- ぶっちゃけ、この辺りの事を知らない人が安易に「ポリコレ・コンプラを無視した過激作」を作ったりすると、本人の主観では「ポリコレ・コンプラを無視した過激作」を作った筈が、ヘイズ・コードや中国の映画検閲は余裕で通る作品と化しかねないので、ポリコレを揶揄したい場合こそ、ポリコレとポリコレ以前の自主規制の歴史をちゃんと調べるべきとも言える。