概要
岩手県盛岡市ではわんこそば、じゃじゃ麺と並んで「盛岡三大麺」と称され、主に焼肉屋で提供される。
1954年(昭和29年)、咸興生まれの青木輝人(あおき てるひと 韓国名:ヤン・ヨンチョル)が始めた「食道園」(メイン画像の店)で出したのが最初。
青木は料理人としてのプロの技術を持たなかった為、自分が子供のころに食べた咸興の冷麺を独力で再現した。
咸興の冷麺はスープのないピビム(ビビン)冷麺が有名だが、ユクス(肉水:牛肉の出汁スープ)つきのものもあって、そちらの方が楊が好きだったため後者を出した。
またコシの強い麺や辛いキムチは当時馴染みが薄く、麺は「ゴムを食べているよう」と言われるほど固くて受け入れられなかったこと、また当初は忠実に『蕎麦粉入りの灰色の麺』にしたが作った本人が美味しく思えなかったことからそば粉を抜くなど、ジャガイモのでんぷんを使ったコシの強い麺や、キムチのトッピング、牛骨ダシ中心の濃厚なスープという「故郷の味の3要素」を守りながら改良した。
やがて盛岡の新しいもの好きな若者の間で評判となり、客が入るようになる。
当時は平壌の方が大きな街で有名だからと「平壌冷麺」という看板を掲げたが、1987年(昭和62年)に「ぴょんぴょん舎」を創業した邊龍雄(へん たつお)が1986年(昭和61年)に盛岡で開かれたイベントに出店の際、運営を担当していた盛岡市職員に勧められたことがきっかけで「盛岡冷麺」と名乗った。
当初、韓国系移民のコミュニティーからは「故郷の味を安売りするもの」「祖国の食文化を日本に売り渡す」と猛反発があったが、邊をはじめ青木を追って冷麺をつくり始めた店では独自の試行錯誤を繰り返し、盛岡冷麺の味は次第に日本人の味覚に合ったものに変化していった。
2000年(平成12年)4月からは、讃岐うどん、札幌ラーメン、長崎ちゃんぽん、沖縄そばなどと同様に、公正取引委員会が「盛岡冷麺」の生麺に対して「特産」・「名産」表示を認められた。