平壌
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ぴょんやん
朝鮮半島の北西部に存在する都市。朝鮮民主主義人民共和国の首都。
都市としての平壌の起源は、紀元前二世紀に前漢の楽浪郡が置かれ、中国の朝鮮西部支配の拠点となったことに始まる。313年、楽浪郡は高句麗に滅ぼされ427年には首都となった。十世紀に建国された高麗は首都を現在の開城に置き、平壌を副都・西京とした。20世紀、日本の朝鮮支配が始まると平壌(へいじょう)の名で呼ばれ、キリスト教布教の拠点となっている。1945年、日本の敗戦により朝鮮の植民地支配が終わると平壌は大きな転機を迎える。進駐してきたソ連軍によって平壌は朝鮮北部行政の拠点となり、1948年の朝鮮民主主義人民共和国建国で事実上の首都となった。1950年の朝鮮戦争では金日成が後に「平壌で無事だった建物は2軒だけ」と語るほどの空爆を受け、また市街戦により旧市街は完全に焼失した。その後は社会主義国の後ろ盾を受けた北朝鮮の経済建設により復興がなされ、現在では多数のランドマーク的建物が立ち並んでいる。
平壌が正式に首都と位置付けられたのは1972年であり、それまでは朝鮮を統一するまでの暫定的な臨時首都という位置づけだった。北朝鮮の首都として、平壌はいわゆるポチョムキン村の役割を与えられている。すなわち、北朝鮮の他の地方都市、農村に比べて圧倒的に近代化された設備が整い、北朝鮮の政治、経済体制が成功しているように見せかけている。また、平壌に居住できるのは朝鮮労働党幹部とその家族や、抗日パルチザンに加わった人の遺族などいわゆる「出身成分の良い」人々や、政府に対して巨額の寄付をした在日朝鮮人の家族など一握りの人々である。そのため食料配給や国家から割り当てられる住宅なども他の地域に比べて優遇されている。
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