張楊の後継者になるまで
黄巾賊が蜂起して中国全土が乱世となった後漢末期に、張牛角を首領とする中山・常山・趙郡・上党・河内の諸郡の山谷を根城にした黒山賊という山賊が存在した。
張牛角が死亡すると後継者となった褚燕は名を張燕と改めて、黒山賊を率いた。ちなみに正史によれば眭固は当初は黒山賊の頭目であった。
192年に于毒・白繞と共に10万の大軍で魏郡・東郡に攻め込み魏郡を制圧した後、東郡太守の王肱を撃ち破った。しかし翌年に曹操に敗れて撤退。
その後、晋陽太守の張楊に仕えるが198年に主君・張楊が曹操への降伏を考えた楊醜によって暗殺されてしまう。
これに激怒した眭固は楊醜を斬り、主君の仇を討った。その後、張楊の部下である薛洪と繆尚の支持を獲得。張楊の後継者として擁立された。この事から、眭固は人望厚い指導者としての素質に富んだ人物だった事が窺える。
袁紹方と結ぶ事を考え射犬城に入場し、援軍を待った。
巫女の言葉
そんなある日の事、射犬城に巫女が現れて眭固に忠告した。
「貴方の字(あだな)は白兔。しかし邑の名は犬。兔と犬が出会えば勢いから必ず驚きます。急いで退去するべきでしょう・・・。」
と忠告した。だが、眭固は「そんな事に恐れていては白兎という字は名乗って無い」と言って無視した。
だが、これが彼の運の尽きであった・・・・。
呂布を滅ぼした曹操軍が北上すると、言わずがなも射犬城も攻められてしまう。眭固は善戦するが、相手は史渙・曹仁・楽進・于禁・徐晃ら名だたる曹操軍の将達であった為、衆寡敵せず敗北、討死した。
各メディアにおける眭固
コーエー三國志シリーズ
Ⅵから初登場・・・・なのだが、顔グラフィックは何とメイン画像にもある様に顔芸。
ステータスは武力や統率が少し高いが、政治は壊滅レベルと武官ステータスである。
11では陶濬と董旻が普通の顔になったので彼も普通の顔になるかと思ったら・・・・新しい顔グラフィックで顔芸続投。
12では全身絵なので流石に登場しないと思ったら、11とほぼ同様の顔芸をした全身絵で登場など、ネタ武将として知名度が高い。
ちなみに毎回顔芸なのは、主君を謀殺した楊醜に対する怒りの叫びを描いたのかもしれない。
7猛将伝・呂布伝の第3章外伝・常山の戦いにてモブで初登場。が、上記の三國志と異なり何故か正反対の知略のモブ(武器は鏢)となっている。