概要
かつて柴田勝家の居城だった北庄城の跡地に築かれた。平城に分類される。徳川家康の次男であり時期後継者候補にも上げられる存在だった結城秀康(松平秀康)の居城として1601年から築城が始まった。天下普請によって各国の外様大名を動員し、当時の築城技術の全てを注ぎ込まれて、約6年の年月をかけて築かれた。築城されてから暫くは北ノ庄の名称が使われたが、「北」は「敗北」の文字であり不吉だとして改名され「福井」の名が使われた。
説明
中央に天守閣を持つ本丸が配され、それを取り囲むように二の丸・三の丸が四角形状に張られた、典型的な輪郭式縄張である。輪郭式縄張は徳川氏の天下普請によって築城された城郭に多く見られる曲輪であり、福井城のものは徳川家康直々だという。城下町にも水堀が引かれており、町そのものも城の一部と化している。
城域は全国有数の規模で徳川一族の居城として相応しい大城郭であった。水堀は深く広く、石垣は高くそびえ立ち、櫓・虎口などで徹底的に武装されている。築城技術の発達により築き易く守り易い城でもある。
天守台には4層5階の天守閣がそびえ立っていたが、1699年に焼失、以降は平和な時代に天守閣は必要なく金銭の無駄として再建されなかった。天守の代わりには3重櫓が使われた。
現在
外堀はすべて埋め立てられ、本丸より外側は市街地化している。本丸を守る内堀と石垣は現存している。本丸内部には福井県庁・県会議事堂・県警察本部が建てられており、城としての雰囲気はあまり無いと言わざるを得ないが現在も福井の政治の中心地とも言える。天守台の石垣は過去の地震によって一部が崩壊している。