概要
経歴
神亀4年(727年)に誕生、天平宝字7年(763年)に従五位下、後に信濃守、越前守となった、天平神護2年(766年)に右大弁、参議となり宝亀2年(771年)に正四位上、従三位に進み大蔵卿、宮内卿、兵部卿を経て宝亀11年(780年)に中納言となり同年伊治呰麻呂の乱では征東大使となるが兵を動かさなかったため解任、天応元年(781年)に中務卿となる、延暦2年(783年)に大納言、後に東宮傅となり延暦9年(790年)に右大臣となった、延暦13年(794年)に正二位、延暦15年(796年)に死去、死後従一位が贈られた。
人物
妻の百済王明信は桓武天皇の女官であり明信と共に天皇から信頼を受け長岡京及び平安京遷都に力を尽くしたという。