艦歴
六六艦隊計画(戦艦6、装甲巡洋艦6)の一艦として英国アームストロング社に発注され、1900年に就役、日本に回航される。
日露戦争時は第二艦隊(巡洋艦隊)機関を務め、蔚山沖海戦ではウラジオ艦隊の装甲巡洋艦リューリクを撃沈。日本海海戦では出雲が先頭に立って突撃し、日本側の勝利に大きく貢献した。
第一次世界大戦では、米国と地中海に遠洋派遣される。日中戦争では第三艦隊旗艦として上海を拠点に活動。1943年以降は瀬戸内海で練習艦として運用された。
同型艦の「磐手」も蔚山沖海戦や日本海海戦で肩を並べ、最後は出雲とともに呉軍港空襲で沈没している。
関連項目
戦艦榛名:装甲巡洋艦「出雲」とは戦没した地が同じ「江田島の小用」、現在でも両艦の合同留魂碑が江田島公園に遺る。