概要
遊戯王のファンであれば、おそらく一度は聞いたことがあるであろう言葉。
パズルのピースは見えるが、完成するまでどのような形になるかはわからない。当初はそのように語られていた。
友情
「俺とお前は互いに見えるが、友情ってやつは見えないだろ?」
遊戯をいじめていた城之内克也だが、牛尾に毅然と向かうその勇気を認めた城之内からの感謝と謝罪。遊戯と城之内はお互いに見えるが、二人を結ぶ友情の絆は決して見えない。
二人を象徴する言葉でもあり、それはデュエルモンスターズを通してより強固になる。
もう一つの見えないもの
デュエリストキングダムで遊戯はペガサス・J・クロフォードに奪われた祖父武藤双六の魂を取り返すため、決勝トーナメントに進出した。
しかし、デュエルで表に出ている闇遊戯は対戦相手である孔雀舞を全く見ておらず、その先のペガサスとのデュエルしか見ていなかった。
目の前の相手に最初から勝った気になっていた遊戯は単調な攻めばかりをした結果、自らの首を絞めてしまう。そんな遊戯に舞は自分と城之内との対戦で看破された香水戦術への助言と違う『見えるんだけど見えないもの』を問いかける。
舞が得た、見えるんだけど見えないものへの答え。それは自分自身の弱さを認める心。
『自分が素人であり、それでも勝ち上がれたのは仲間が見守り、支えてくれたからこそ』。城之内はそれらをすべて理解し、認めていた。
舞はそんな城之内に負けたことを認められずその事実から目を背けていた。だが、それを通じて舞自身も見つけることができた。なぜ自分が負けたのか、それを認めることを。
それが、舞が見つけた見えるんだけど見えないもの。
ペガサス城への入場をかけた海馬とのデュエル、海馬の投身自殺さえも辞さない覚悟に対して、負けられない闇遊戯は攻撃を強行するが、表遊戯がそれを阻んだ。敗北によって双六を救えなくなるという結果を覚悟で海馬の命を取った。が、闇遊戯はそれに気づかなかった。否、その事実から目を背けていた。
勝敗や自分のプライドよりも相手の命やそれに準ずる大切なものを選ぶ強さ。それが表遊戯の強さであり、それを認めないのが闇遊戯の弱さであり、二人の決定的な差であった。
アニメ第二作で
この見えるんだけど見えないものは、ドーマ編で心の闇という形で再度言及された形になり、一見完璧に見える闇遊戯の本質は傲慢であるというデュエリストキングダムでの追及がより深く掘り下げられ、それがより手痛い形になって跳ね返った。